気儘時代

2009年9月20日 映画
1938年、マーク・サンドリッチ監督作品。白黒。

出勤日。過去に大ポカをやってたと判明(しくしく)。
さっさと帰ってアステア=ロジャースに癒してもらうことに。コレは未見のまま長いこと寝かしていた分。
連絡つかなかった相手には明日謝罪、あまり荒れたら明日は更にランクアップで「トップ・ハット」か「踊らん哉」あたりで…?

コンビも8作目となると、いろいろ悩むのも当然。新工夫を盛り込もうとしてるのはわかる。ダンサーじゃなくて精神科医のアステア!そして、通常アステアがロジャースを追っかけるのだが、今回は珍しくもロジャースが鈍感アステアを…という流れ。しかしまあ、なんというか、笑えなくはないが救いようがないシナリオであった…スクリューボールコメディ調にしようとして失敗したみたいな感じ(爆)

精神分析医トニー(アステア)の元へ、親友スティーヴン(ラルフ・ベラミー)が泥酔してやってくる。婚約者アマンダ(ロジャース)に三度目の婚約解消を言い渡された、何故だろう、と落ち込む彼は、彼女を精神分析で診てほしいとトニーに頼むのだった(この時点でかなりヘンです)。トニーとも親しくなったアマンダは、夢の中で超ロマンチックなダンスを一緒に踊った彼にポウッとなり、目が覚めてからもトニーへの恋心が消えず(???)、麻酔などの影響もあって様々な無茶をやらかす。が、スティーヴンを裏切るにしのびないトニーは、アマンダに催眠術で「スティーヴンを愛している、トニーは嫌い」と吹き込むが(…ソレほとんど犯罪では…)、その後になって自分の気持ちに気付くのだった。

精神分析医役は、水兵役(「艦隊を追って」)よりは余程似あってると思う。だだっ広いオデコは知的だ。ただ、そのぶん最初のナンバー登場のタイミングが遅くなるのは残念(笑)。
最初のナンバーはゴルフ場、ひとしきりハーモニカを吹いた後ゴルフボールをかっとばしつつ踊るアステア様。いや、多芸ですねー。アマンダの夢の中ではスローモーションを使った“I used to be color-blind”、セットはちゃちいけどアステア様って映画史上最もスローモーションの似合う男性ダンサーでは、と言いたくなるスーパーロマンチック。この曲が一番心に残りますね。夢の中で素敵に踊ったから惚れる、というのは普通ならあまりにありえないけれど…。あとアマンダが強引にトニーを誘って踊るナンバー、催眠術でぼうっとした彼女を操るような手つきでトニーが踊るナンバー、ちょっといつもより少ないかなって気はするけれど(精神科医にしたせいか…)、まあとりあえずは、癒されました(笑)

いつもよりアステアが真面目なぶん、ロジャースがハジケてる。彼女、いつもより可愛いくらい。ラルフ・ベラミーはただただ“つまらない男”役…この人は映画で何作もエラリー・クイーンを演じていた筈なので、も少しなんとかならんか、とか思ってしまいます(^^;)←クイーン・ファン。
1985年、ウディ・アレン監督作品。

ウディ・アレン作品、特に大物扱いされだしてからはあまり性に合わず見ていないのだが(そもそも80年代後半から新作映画はろくに見なくなった)、「カイロ…」は大好きな「ラムの大通り」に一脈通じるファンタジー・コメディと聞いたのでトライ。つまり、映画ファンの心と映画の力、というテーマね。

大不況まっただ中の30年代、ニュージャージーの小さな町。失業中の夫(博打、浮気、DVと三拍子揃ってる)にかわって働くセシリア(ミア・ファロー)は大の映画ファン。銀幕に見入る間は全ての憂さから解放されるが、ある日映画館で「カイロの紫のバラ」なるロマンス映画を見ていると、とんでもない出来事が。
登場人物の一人である二枚目探検家トム(ジェフ・ダニエルズ)が『キミ、五回も見に来てくれたんだね!嬉しいよ!』とスクリーンから現実世界に飛び出してきてしまったのだ。トムはセシリアを映画館から連れ出すと熱く求愛する。当然残りの登場人物たちも、どう話を進めていいか困って右往左往、観客は文句を言うし、進行しない映画に映画館主もプロデューサーも頭を抱える。トムを演じた俳優ギル(これもジェフ・ダニエルズ)も、イメージダウンになっては大変と飛んでくるが、セシリアの純情さにやはり心を打たれて奇妙な三角関係が発生する。夫(ダニー・アイエロ)を入れれば四角関係か。
気弱な人妻セシリアは困惑しつつもウットリな嵐の数日間を送ることに。とはいえ、トムは夢のようにロマンチックで誠実で魅力的だが、「リアル」ではないトムの財布から出るお金はすべて作り物、現実世界の常識も知らない。
そして、ギルもまたセシリアにとって「リアル」なのかというと…

オープニングのクレジット・タイトル(黒字に小さな白抜き文字のみ、アレンらしいシンプルさ)は、フレッド・アステアの歌う「チーク・トゥ・チーク」にのせてのスタート。おぅ、いきなりこう来ますか。アステアファンの私はこれだけでもニヤリ。映画の持つ「夢の力」の代表格として選ぶには、やはり、深さはなくとも抗いがたいダンス・マジックに溢れるアステア=ロジャース映画は正解でしょう。
そして全編バックに流れる軽やかなピアノ。時代はもちろんトーキーなのだがサイレント映画を思わせるイメージで、物語の作りものっぽさをいい意味で支えていると思う。
ミア・ファローは元々冴えない女性を演じるのはお手の物だが、見事な映画ファンっぷりもよろしい。スクリーンに見入る表情、そしてお仕事中にも映画の話をしだすと関連情報が次々と口からダダ漏れ、相手がもはや聞いていなくても…(笑)
非常に納得の描写である。

あと、映画中映画「カイロ…」の冒頭に“主役の友達”役で登場するジョン・ウッド(多分)、エドワード・エヴェレット・ホートンに激似でたまげました。これは凄い!ホートンはルビッチ映画やアステア=ロジャース映画の脇役常連だったオジサンです。
RKOのラジオ塔マーク直後にこの面構えを見ると、30年代ぽさ全開です。わはは。

ほろ苦く、けれども夢の力にあふれたエンディングは予定調和の世界。
けっこういい感じでした。細部が丁寧。

…でも、「ラムの大通り」の方が更に上をいくと思うな(★は3.5だがアステアでおまけ)。
「カイロ…」が気に入る人は、是非とも機会があれば「ラム…」を見てほしいですね☆
(過去日記参照http://13374.diarynote.jp/200804281734160000/)
アレは予定調和を更に超えた何かを感じます。非現実的な出来事は盛り込んでいないのに。
そして音楽がまた素晴らしいし…♪
トプカピ
1964年、ジュールス・ダッシン監督作品。
なんだか監督の妻子に加え本人も出てるらしい家族映画。いや、泥棒映画。図書館のVHS借りて視聴。

濃いです濃いですというのは聞いていました(笑)。
アヴァンタイトルで女盗賊エリザベス(メリナ・メルクーリ、ご存じダッシン夫人)が、トプカピ宮殿美術館に眠る宝剣への思いを熱く語る場面は色と光の乱舞で、いやーこりゃ濃いなたしかに、とちょっと焦りました。
でもまあ、タイトル&クレジットが終わり、「いい考えを思いついたワ!」と彼女が元恋人・ウォルター(マクシミリアン・シェル)を口説きに行く場面の次くらいからは、耐えられるペースに戻ってひと安心。イスタンブール市内入りするところの映像もカット割がめまぐるしく眩暈を誘うテンポですがそれはちょっと先だし。考えてみたらサイケ時代も目の前。

グラス片手にタキシードで連れと肩組んでパリの歩道をほろ酔いそぞろ歩き、と見せかけておいて、警官に挨拶しつつ向きを変えたら実は連れの背中に銃を突き付けつつ歩いてた(と観客に分かる)というウォルター。彼女以上に腕利き泥棒の彼に宝剣奪取計画を考案させる、というのが彼女の『いい考え』だったようで。
実際リーダーの筈の彼女が何やってるかというと、もっぱら色仕掛パートと、仲間みんなに優しく色っぽく接してムードメーカー、という…。
「面倒みられ型リーダー」ってヤツですか(笑)

当局に記録のないアマチュアをという考えから、ウォルターが集めた仲間は機械に強く警備システム破り担当セドリック(ロバート・モーレイ)、軽業師ジュリオ(ギルス・セガール)、剛力のハンス(ジェス・ハーン)、現地の見世物屋ジョゼフ(ジョゼフ・ダッシン)。
銃などヤバイ物を隠した車をギリシアからトルコ側へ国境越えさせるのに雇った運転手シンプソン(ピーター・ユスティノフ)は、無事越せればよし、捕まれば放置(雇い主の自分たちの情報は教えてない)、という計画だったが、ここで計算違いの展開が発生。

国境で車から銃を見つけた警官たちは、銃をテロリストのものと考え、ここは見逃し逆にシンプソンにスパイを強要して首謀者を捕えようと考える。警察側の小細工で、ウォルターらの運転手を続けることになった彼は、ビクビクしながら尾行の警察に情報を流す。だが、ハンスが怪我をしたことから、泥棒一味はそこそこ大男なシンプソンをピンチヒッターにたてようと仲間に誘い…

さてここから先は伏せておきます。
パレードとイベントで盛り上がるイスタンブールを舞台に、官憲の目も光ってるのにどう盗む?
計画をどう変えれば可能か、ウォルターの頭脳の見せ所です。エリザベスいわく彼は「窮地に立つほど冴えるの」。
まだまだ何でもアナログな時代、監視カメラも光学センサーもない時代のクラシックな泥棒テクが魅せます。いわば空中からお宝を狙う彼らには、身体能力も切り札。ロープで宙づりになりつつ侵入する場面は息を飲む迫力(そして祭りの賑わいとの対比がまた…)。そして、屋根の上を走る彼らのバックには明るいトルコの海。
うーんいいねえ。

そして、ラストシーン。
「次はね、クレムリンよ」と囁くエリザベスに「ノォォォォォォー!」と叫ぶ男ども。
でもね、やっぱり…(笑)
お約束だなあ、と思いつつ、キュートなエンディングにニッコリでした。
ユルいようで心地よいチームワークができちゃってるんですね。エリザベスの人徳?かね。
メルクーリ、かなりなトシだと思うんですけど(笑)シェルより10くらい上じゃないの?
でもまあ人徳は人徳(笑)

これでオスカー助演男優賞のユスティノフは、ポワロ役とかの貫禄タップリになってからの印象が強いからか、そこまでか?という気もするけどヘタレなおじさんの頑張りが受けたか。
ふとっちょギョロ目のモーレイはいつも通りそこにいるだけで微笑ましい。思いがけないほど可愛かったのはギルス・セガール。口のきけない若い軽業師なんですが、「カラダでしゃべる」さまが実に表情豊か。

気になってたシェルは、心配してた程悪くなかったですね。
立ち位置としては普通なら「二枚目役」になりそうなところが、地味に頭脳労働に徹して、スマートかというと「ややスマート」止まりで(笑)、でも恋愛沙汰より自分の「頭脳全開」に酔うようなキャラクターって嫌いじゃない。「飛べ!フェニックス」のハーディ・クリューガーなんかもそう。ドイツ人(厳密にはシェルはオーストリアだけと)は似合うなソッチ系。
映画自体も、軽妙、スマートというには濃いノリだしねえ(キャスティングのせいかも)。でも、おおらかなユーモアと犯行描写の迫力は立派で十二分に楽しめたと思う。
舞台がトルコのイスタンブール、一部ギリシャというわけで、それだけでもコッテリですもんね。

そして、なんだかとても「エロイカより愛をこめて」を思い出しました。スリリングだけど微妙にのんびり♪なところが。トルコ方面行ってた話もあるしねえ。
伯爵って、エリザベスの色気とウォルターの頭脳を合わせたような泥棒?
最近伯爵の女装がやけに多いのでそう思うのかもしれない(笑)

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005IVYK?ie=UTF8&tag=boatswascot-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B00005IVYK
誇り高き戦場
誇り高き戦場
誇り高き戦場
1967年、ラルフ・ネルソン監督作品。ちょっと変わった音楽戦争映画。
昔、TV放映をVHS録画してたものをDVD-Rに焼き直しつつ再見。

1944年12月ベルギー。米軍慰問に来ていたオーケストラと世界的に有名な指揮者エヴァンズ(チャールトン・ヘストン)の乗ったバスは、反攻してきた独軍に捕獲される。ドイツ軍上層部からは、機密作戦上捕虜は全て射殺するようにとの指令が出ていたが、師団の指揮官シラー将軍(マクシミリアン・シェル)は芸術に造詣が深く、まず彼らに独軍のため演奏をさせようとする。
だがエヴァンズは、敵のためになど、と拒絶する。演奏がすんだら逆に用済みだろうとの考えもあり、怯える楽団員たちをなだめすかして引き伸ばし作戦に出る…。

また、慰問団のバスには、どさくさにまぎれて米軍兵士二人もまぎれこんでいた。バレると楽団員にも危険、この二人は早く脱出させて救援を呼ばせたい、と彼らの存在をごまかしつつ二人の脱走計画を練るエヴァンズたちだが、ドイツ軍の監視にもそうそう抜かりはない。

将軍にも悩みは尽きない。階級こそ下だが、本部付き将校アーント大佐(アントン・ディファリング、みるからに親衛隊上がり)が、常に彼の足を掬おうと目を光らせている。捕虜をさっさと銃殺にしないのは命令違反だと詰め寄るアーント大佐に、「演奏がすめば銃殺、補給待ちの燃料が届き師団の移動命令が出てもまだ演奏を承諾していなければやはり銃殺」と、将軍はついに言質を取られる。誇りある軍人、教養あるインテリとしての彼には不本意なことなのだが。

指揮者と将軍の意地の張り合いと駆け引き(また両者の仲間うちでも水面下で暗闘)、米軍兵士の脱走計画、地元パルチザンの動き、そして独軍の移動命令が下るのはいつ?
…と、それなりにスリリングに物語は進んでゆく。各所に演奏がはさまるのも新鮮でよい。

欠陥は確かにある。オケのスタッフ一人もいないし、とか、天才的指揮者がこんなにリーダーシップ取るか普通芸術バカだろとか、捕虜の人数や内容くらいキチンと確認しないのかとか、終盤ご都合主義多くないか?とか。
それにコンマスの細君と指揮者が昔は恋人だったとかでウダウダするのは鬱陶しい。
そして何といってもヘストンが、偉そうなばかりでちーとも芸術家っぽくない!
芸術家の傲慢、というよりただのタカ派に見えがちなのは困ったものだ。

だが、この物語の設定には、奇妙な魅力がある。
孤高の芸術家のプライドと、芸術愛好家軍人のプライドの激突!
相手を従わせたい、という男の意地の張り合いの裏には、ただの力比べではなく、相手の生み出す「芸術」への愛もまた潜むわけである。
芸術家もまた、作品(演奏)を人に見せてナンボだろう?求められてどこかで嬉しくないわけがないのでは?
また、芸術をとるか軍人としての責務をとるか。スカした笑顔の下で将軍は結構いろいろ考えているに違いないのだ。

…と、対立する登場人物たちの立ち位置にはなかなか複雑微妙なものがあり、自分だったらこういう要素をもっとクローズアップ、とか、こういうふうに結末ひねるけどなあ、とか、妙にこちらの妄想力をソソルところがある。しかも独軍の駐屯所は雪に閉ざされた古城。
実はこのビデオ録画を、何度も見ている私であった…

ちなみに、これも結構昔のことだが、少女漫画家の坂田靖子さんが同人誌に「誇り高き戦場」を連載しだしたと聞いた時はほんとにビックリした。インスパイア、というか、もうほとんど別キャラだしオリジナル設定もちょこちょこ入ってるが、このタイトルでほぼ同じ状況下、キザで刺激的な会話をかわす軍人と指揮者。なんと、坂田さんも私と同じく、なんらかの電波を受信しちゃったのねこの映画から…。そして、映画にはない後日談を付け足す坂田さんのキモチ、よーーーーっくよくわかる私なのでした(笑)
(このマンガはその後普通に朝日ソノラマや講談社からも出ています。絶版だけど中古屋やヤフオクで結構手に入る筈)

そして、ヘストンがスカなぶん、キザな将軍がカッコよすぎるくらいカッコよく見える。シェルはピアノもプロ級とかでハマり役。(序盤のチェンバロ合戦を見よ!ヘストンの手元は映らないがシェルの手元はバッチリ見せてくれる)。
口元がクドいのが惜しいが、凄い知的っぽい目ヂカラがある所は私の好み。単細胞そうな指揮者より、ついついシェル将軍に肩入れしてしまうのよね…
坂田さんも将軍に対応するキャラの方に力入ってたね絶対…(笑)

できたら気楽に見て、「快」電波を受信してくれたらいいなーと思える作品。


そうそう、序盤部分の将軍vs指揮者初対決シーンがYouTubeに上がってました。
興味がある人は是非!

http://www.youtube.com/watch?v=vbI1synAi28
朝から昔のVHSビデオ(TV録画)のDVDダビングをやっていた。懸案の「誇り高き戦場」のダビングをすませて、ネットサーフしてると、え、コレって春先にBSでもやってたの?

…うーん…やっぱ早くBS入ったほうがいいかな…再放送するかも。
(デッキ買い替えがてら、またはネットを光に変えがてら入りたいなと思ったりはしてた)
とか考えつつ、BSオンラインの予定表を見てみて…び、BS~!!!

http://www.nhk.or.jp/bs/genre/movie_7later.html#200910131300

「聖女ジャンヌ・ダーク」やるんですか!?
い、イカン!
10月までに手を打たねば!
実家はBS映る筈だがVHSデッキしかない上に壊れている。買い替えさせるのが早いか!
あるいは、BSを録画できる友人を近場(リアル)で早急に作らねば(爆)

期待(カッコよさの)はできないのだが、超珍品である…ウィドマーク様の作品の中でも。
こわいけど見たいよ~こわいけど(だってこの映画だと、ヘンなおかっぱ髪型なんですもの)。
1933年、ロバート・Z.レナード監督作品。モノクロ。

フレッド・アステアのデビュー作としても(してこそ?)知られているミュージカル。ショー場面だけ「本人」としての客演なので、厳密には、準主役をつとめる「空中レビュー時代」こそが第一作と言ってよいのだが、公開はわずかにこちらが早かったらしい。

キャスティング的には、別にそれだけな作品ではないのだが。主演がジョーン・クロフォード、実は初見なクラシック映画の大女優。目が大きく面長でたくましさすら感じさせる、迫力ある美女。相手役はハリウッドの“キング”クラーク・ゲイブル、でもまだちょっと若くて“皇太子”程度な軽さ。ヒロインを追いかける金持ちのボンボンにフランチョット・トーン、「戦艦バウンティ号の叛乱」でも二人揃って出てましたね。が、あくまで主演はクロフォード、ダンサーとして世に出たい!というヒロインのバックステージ根性モノ。男性陣、負けてる…(アステアはともかく)。

バーレスクのストリップまがいの踊りで糊口をしのぐジェニー(クロフォード)は、彼女を気に入った富豪(トーン)に励まされ、売れっ子演出家パッチ(ゲーブル)の元に行き「私を使って」と直訴をかける。演出家は辟易するが、富豪からの紹介状も届いたのでオーディションだけはすることに。ここで才能を見出された彼女はやがて主役に抜擢されるが、舞台は突然スポンサー降板で中止になる。実は彼女を早く口説き落としたい富豪が、密かに手を回したのだった(そして彼女を船旅に連れ出す)。

二人が旅に出たところで、ようやく気を取り直したパッチは自分の金をつぎ込んでも上演すると決めるが、ジェニー抜きでの仕上がりに自信が持てず初日前夜だというのに泥酔するていたらく。そこへ予定を繰り上げて帰国してきたジェニーは、全ての経緯を知り「振付は覚えてる、やってみせる!」と舞台に上がる。舞台は大成功、彼女とパッチは結ばれる。

悪気はないらしいが困ったちゃんな富豪より、何故だかケンカになりがちだがガミガミ屋の演出家に最初から親しみを見せるヒロイン。ただ、演出家のほうもトーヘンボクな上いざとなるとヘタレだしで、イマイチなロマンス展開であった。

クロフォード、ダンス頑張ってるとは思うがあまり踊りには色気を感じない。体操みたいだ。彼女のパートナーとしてアステアはまずタキシード、続けてバヴァリア風半ズボンで優雅かつ軽快に踊ってくれるが、アステアがロジャースを得てこそ人気が爆発したのも無理はないかもしれない。
最後のナンバー(アステアは出ない)は、「リズムにのろう!時代においつこう!」と、18世紀風の衣装のダンサーたちがありえない手早さで現代の衣装に早代わり。「絶対下からじゃ見えないよな」な空中レビューでも思ったが、なんかこの頃のミュージカルって「舞台でやってるんですよ」感を中途半端に強く残したまま、本当の舞台では不可能なシネ・ミュージカル的な振付をしてるなと思う。まぁ、ブームになったバスビー・バークレーの真上から見た時専用幾何学模様型振付がそもそもそうなんだけど。これが40~50年代だともう少しこなれて、「舞台らしい」ナンバーと映画ならではな振付や演出が融合してゆくのだが。

とりあえず、アステア様のダンスをチェックできただけが収穫だったかな。
何日も研修があって職場を離れてる(あとがコワイ)。
ヨソの図書館へ通っているのだが、毎日昼休みに書庫カウンターへ行って大昔の洋雑誌を出してもらっては、掘り出し物な記事がないか探している私はアホです。

最初に探していた記事はなかったが(“International edition”とか“Asia edition”って、やっぱり違うんだろうなあ本国オリジナルと)、それでも、根性で一枚だけ「やや掘り出し物」なウィドマーク様入り記事ハケーン。

…こんなんでもなきゃ、やってられませんて。ふー。
黄金の賞品
黄金の賞品
黄金の賞品
1955年、マーク・ロブスン監督作品。実はイギリス映画。
字幕なしの録画ですが、大昔にTV放映(当然吹替版)見て筋は知ってるし!と、割と強気で見てみました。
今回盛大にネタバレです。

舞台は、敗戦の傷跡がまだ随所に残るベルリン。米駐屯軍の軍曹ジョー(リチャード・ウィドマーク)は、戦災孤児の少年にジープを盗まれそうになったのがキッカケで、孤児院の女教師マリア(マイ・ゼッタリング)と知り合い恋に落ちる。彼女の夢は、子供たちごとブラジルへと移住することだったが、スポンサーは彼女をめぐってジョーと大喧嘩したため手を引いてしまった。沈む彼女を見て、ジョーは何とか大金を手に入れられないかと思いつめる。
おりしも、川底に沈んでいたナチスドイツの隠し金塊が偶然発見され、数回にわけてロンドンに空輸されつつあるところだった。添乗を命じられたのはジョーと、旧知の英軍軍曹ロジャー(ジョージ・コール)。「英国で、金を売りさばける闇ルートを知ってるんだが…」ロジャーの提案にジョーは飛びつく。護衛の自分たち二人が組めば、誰も傷つけず、金塊を素早く強奪して逃げられるはず。
闇商人アルフィー(ドナルド・ウォルフィット)、彼の紹介のパイロット・ブライアン(ナイジェル・パトリック)、ロジャーの叔父、計五人による、金塊強奪計画がスタートする…。

ラブコメのごとく明るく始まるが(仕事にかこつけてマリアを連れ出すジョーの悪戯っぽい表情!)、中盤からは緊迫のサスペンス・アクション。だが、ハードボイルドに決めてみせても、これはアマチュアの計画である。唯一のプロ・ブライアンの無造作かつ非情な振舞から、何人もの命が失われるのを見てジョーは金塊を返すことに決めるが、ブライアンが承知する筈もない。死闘の末に、ようやく無事(?)自首を果たしたジョーは、軍法会議の場へと向かう空港で、旅装のマリアと孤児たちに出会う。「自分が全ての罪をかぶるからその代わりに」とジョーがアルフィーに出させた金で、彼女らのブラジル行きが叶ったのだ。
上司の温情でしばしの間、別れの抱擁をかわす二人。何も知らず「貴方も後から来てね」と旅立つマリアを、ちょっと淋しげな笑顔で見送るジョーなのであった。…ジ・エンド。

…うーん…

中盤以降は一応サスペンスフルで、キビキビと軍服アクションしている大好きなウィドマーク様、Foxとの七年契約から解放されたばかりなせいか、楽しそうに演ってる感じなんですけどねぇ、シナリオがちょこちょこ引っかかる所があるのが残念(^^;)
惚れた女の夢のために犯罪に手を染める、というのは、犯罪の動機としては比較的良い方だろうとは思いますが、しかし何故ブラジル?ネオナチでもあるまいに?それともこの頃ドイツではブラジルブームが来てたとか?ブラジルでなくてもなぜ国を出ないといけないの?誰か教えて…
そして、死人が出たしやめる、というのは正しいようでいて何か微妙。死人が出なきゃそんなにいいのかしら。軍を裏切って脱走するのは同じだと思うが…。ナイジェル・パトリックが妙にマイペースでノンシャランな悪党をイイ感じで演ってるので「アマチュアの試みに引っ張り込まれたプロって気の毒」と思えてくるのは、私間違っているのかしら。計画が狂ってきたのは、プロの非情(笑)だけでなくアマ側のツメの甘さにも一因がある。
自首したとはいえ、ジョーだけチャッカリ目的は果たしちゃってるし…(^^;)

ということで、見どころは常に一定のレベル(カッコよさ)は保つウィドマーク様と、ナイジェル・パトリックと、この時期カラーでのベルリン・ロケだけであった(ヒロインはあまり私の好みではなくて…シナリオのせいもあるが)。
それでもとりあえず懐かしかったしで☆三つ(甘いな…)。
自分的にはウィドマーク様が出てるだけで一応見た甲斐はある!
The Toast Of New Orleans
The Toast Of New Orleans
1950年、ノーマン・タウログ監督作品。カラー、日本未公開。

「ザッツ・エンタティンメント」の中でマリオ・ランザとキャスリン・グレイスンの歌う“Be My Love”のシーンだけ『ニューオリンズの美女(日本未公開)』として日本に紹介されています(笑)(『ニューオリンズの乾杯』と訳されてる場合もあるようですが)
米盤ミュージカルDVDボックス、"Classic Musical from the Dream Factory volume 2" 収録分より視聴(英語字幕あり/リージョンオール!)。
(参照http://13374.diarynote.jp/200902271555324824/)

日本のアマゾンでは海外版VHSしかあがってきませんが。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00000F6O0?ie=UTF8&tag=boatswascot-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B00000F6O0


舞台は100年ほど前のアメリカ南部。ペピ(ランザ)はバイユーの若いエビ漁師だが、明るく奔放な気性と抜群の美声で村のアイドル的存在(笑)。その才能をオペラの監督&プロモーターのジャック・リブドゥ(デヴィッド・ニーヴン)が認めてオペラをやらないかと誘う。ペピは最初は誘いを断るが、叔父と自分の漁船が沈没し買い換える金が要ったのと、美しいオペラ歌手シュゼット(グレイスン)に惹かれたことでニューオーリンズへと出てくる。実は彼女はジャックから求婚されていたのだが、強引で純粋なペピにも惹かれるようになり…

クラシック・ミュージカルではしばしば、筋はあってなきが如きもの(笑)
ランザとグレイスンの美声を楽しむためだけに作られていますので、そういう映画の嫌いな人はパスして下さい。
私はクラシック・ミュージカル好きとはいえ、ダンスが一番好きで、オペラはあまり興味がないので、観る前は期待していなかったのだが、聞いてみるとランザの美声はなるほど凄い。椿姫の「乾杯の歌」や蝶々夫人などオペラの有名どころに加えて、もう少しミュージカルっぽい英語の歌も何曲も歌う。とはいえさすがに踊りはできないので、漁師仲間のジェームズ・ミッチェル(「オクラホマ!」に出てたらしい)や若いリタ・モレノがダイナミックなダンス・シーンをサービスしてくれる。

面白いのはペピと叔父(J.キャロル・ナイシュ)の設定。彼らの田舎者っぷりは相当なもので、「人前に出せるよう」ジャックとシュゼットが苦労して色々と特訓を施すのだがあちこちで騒ぎを起こしまくり。だが、一年の半分をオペラ、残り半分をエビ漁師として暮らせたら理想だ、と言うペピは、本当は一番もののわかった人間なのかもしれない。
とはいえ、そんな彼に結局道を譲ってやるジャックの、オトナの気遣いもまた美しい。

カラフルな、そしてノスタルジックな風俗情景をバックに、のんびりとマリオ・ランザのテナーを楽しみましょう。何本も見たら飽きるかもだが、一度見てみてソンはない人です。日本では「歌劇王カルーソ」しか公開されていないらしいけど。
この「歌劇王…」、ドミンゴ等三大テノール全員にとって「オペラを志すキッカケになった映画」なのだそうな。そして、なんとわずか38才で夭逝したらしいというのにも驚く。

そして、二枚目だけど彼の泥臭さは鼻につく、というムキは、デヴィッド・ニーヴンのどこまでもスマートで紳士的な挙措に見とれていればよいのです。
なんというかこのニーヴン様、若すぎず老けすぎず、ルックス的にはまさに旬!なお年頃。ヒーローとヒロインの子供っぽさを埋めてあまりあるカッコよさにウットリの私なのでした(笑)
キツい一日の終わりに / Der Sonne entgegen
キツい一日の終わりに / Der Sonne entgegen
キツい一日の終わりに / Der Sonne entgegen
ずーっと忙しくて、今日は行事もあって忙しさマックス今週のクライマックスなのに起きたらめばちこ気味で。目が、目が~!
それでもビシバシとかんばって、途中関連部署のヒトが「えっ聞いてません」とか信じられない引き継ぎモレやっててもまあ今からでも間に合いそうだったから怒らなくて、そのあとのことは無事たいがいうまくいったし、忙しすぎたから引き継ぎミスを棚に上げて逆ギレな厭味を言った奴がいたのすらとりあえず忘れていたのだが、さすがにグッタリと家にたどりつく頃には、そういうのも思い出せちゃうんですよね。
マジムカ。

くそーやっと明日明後日は休日なんだあんなアホの思い出に毒されてたまるか忘れろ~!とオノレの心をなだめながら自宅の階段をヨロヨロとあがりこんだら。

なんと、机の上にドイツ語のパッケージが。

…月曜に衝動買いしたドイツ盤「太陽に向って走れ」がもう届いていた。まだ土曜なのに。
…早ッ!さすがはドイツ・アマゾン、ドイツ的勤勉さって凄い…

なんだか、すべての雲が晴れましたよ心から。一瞬にして。
ウィドマーク様は偉大です。そして英語字幕も偉大♪
ありがとうドイツ・アマゾン!


≪追記≫
ドイツ語タイトル"Der Sonne entgegen"、邦題「太陽に向って走れ」、原題 "Run for the Sun"。
http://www.amazon.de/Sonne-entgegen-Richard-Widmark/dp/B001UJEYUC/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=dvd&qid=1248883869&sr=1-2

英語字幕に惹かれて買いましたが、字幕は英独二種類、言語も英独二種類。特典もちょっぴりだけどついてました。なかなかガンバってるじゃないか、約7ユーロの安さにしては!
ご参考までに特典は、

(1)主演のリチャード・ウィドマーク、ジェーン・グリア、トレバー・ハワードのバイオ&フィルモグラフィ。結構長文で作品リストも詳しいが、全部ドイツ語なのが難?当たり前なんですが(笑)

(2)スライドショー。映画中場面のスライドショー、カラー映画なのになぜかモノクロなのが残念だけど、簡単に良いキャプチャが撮れます。

(3)トレイラー集(英語)。本編のキャスト・スタッフとは無関係なものばかり。「真夜中へ五哩」「世界を彼の腕に」「フロント・ページ」ほか。

というわけで字幕なし特典なしの英国Optimum盤とは結構違うようです。メニュー画面・チャプター選択画面もなんだかうにょうにょと動画状態だし。画像状態も負けてないと思う。なかなかお得感のあるドイツ盤でありました♪
(本編については、http://13374.diarynote.jp/200810090052299387/参照)

踊る海賊

2009年8月20日 映画
1948年、ヴィンセント・ミネリ監督作品。
米盤ミュージカルDVDボックス、"Classic Musical from the Dream Factory volume 2" より視聴(英語字幕あり)。最近ジュネス企画から日本語字幕版も出ましたが、ソレ一枚とそう変わらない値段でMGMミュージカルが7本も入ってたんだもの~。(参照http://13374.diarynote.jp/200902271555324824/)…しかもジュネス版は発色悪いという噂も?
最大のお目当てはアステアの2本とデヴィッド・ニーヴンの1本(本当はマリオ・ランザ&キャスリン・グレイスン)なのですが、外堀から埋めるタイプの私はこちらを先に見てみました(笑)
「大海賊に憧れるお嬢様を“大海賊のふりをして”口説く話」らしいと聞いていたのも、帆船好きの私としてはひそかに気になる設定で。「折れた槍」同様、結構色々妄想したなあ…

カリブ海に浮かぶとある島、時代は18~9世紀頃?
箱入り娘マニュエラ(ジュディ・ガーランド)は叔母達から、市長ドン・ペドロ(ウォルター・スレザク)との結婚をお膳立てされているが、噂にのみきく"海賊マココ"へ、ロマンチックな憧れを抱いている。島を訪れた芸人一座の座長セラフィン(ジーン・ケリー)はそんな彼女を見染めて熱烈アプローチ。舞台に引っ張りあげて催眠術で住所や好きな相手を聞き出そうとする。彼女はトランス状態からマココへの憧れを派手に歌い踊るが、正気に返ると家へ逃げ帰ってしまう。

強引なセラフィンは懲りずに仲間と共に彼女の家へ押し掛けるが、怒った市長に叩き出されそうになる。ところが、乗っていた船がマココに襲われたことのあるセラフィンは、市長こそが(元)海賊マココであると見破り、官憲に正体がバレることを恐れる市長の事情を逆手に取って一座の滞在を認めさせる。ついでに「自分こそが実はマココ!」と宣言して、進退極まった市長や町の人々に「マニュエラを俺の所へ連れて来い」と命じるのだが、さすがにこれはやりすぎで、彼女の心は捕らえたものの、海賊として処刑されそうになり大ピンチ!

とてもカラフルで、ドタバタ度の高いラブコメ・ミュージカル。ジュディの歌とケリーのダンスも見ごたえ十分だし、終盤、ハメられたセラフィンと「海賊じゃなくてもセラフィンを選ぶ」と決めたマニュエラが如何にして大ピンチを逃れるかのくだりもスリリングで面白い。
ただ、主役がジュディにケリー、監督ミネリ、制作アーサー・フリード、音楽コール・ポーター、と万全の構えで発した大作にもかかわらず、コケたらしい…というのも、わかる気がする(^^;)

問題点は、まず、キャラクターか。ケリーは元々オーバーアクトな「強引な求愛者」を演じることが多いのだが、マニュエラに一目ぼれする前に“Nina,Nina”の女好きを披露するナンバーがあるぶん、彼女にどこまで本気か余計に最初怪しく見えちゃう。催眠術使ったり海賊のふりをしたり、かなり無茶をするのだから、観客の共感を得られる小ネタを序盤にもっと入れてほしかった。超カッコつけな“海賊”演技は笑えるし、終盤の開き直りはそれなりに面白いのだが。
そして一見金と地位がとりえの太めの中年、でも実は元大海賊…というならば、市長役にはもう少し大物を当ててほしかった。踊れなくても太めでもいいから「本気になれば」それなりの風格や悪のカッコよさが出せるんじゃなきゃなあ(-"-;)
ジュディは、騙されやすそうに見えて意外と頭も回る頼もしい女の子で問題なく魅力的。

次にコール・ポーターの曲。“Be a crown”は名曲。“Mack the black”もそこそこいいが、今回ちょっと曲の数そのものが少ないような…。“Be a crown”以外にキャッチーな歌がなかったのは痛いね。それでなくても“Be a crown”はコミックソングで、これが一番耳に残るというのはラブコメとはいえ「何かが違う」気が(^^;)
しかもこの曲、今となると後発の“Make’em laugh”(「雨に唄えば」)にちょっとイメージ食われてるしね。なんでも“Be a crown”みたいな感じで、との指示で書かれたというだけあって激似なうえ、私はドナルド・オコナーの方がケリーより好きなくらいなのでした(笑)

そして、予算的にキツイだろうが…模型でいいから、帆船を出してほしかったなあ(^^;)

まあ、もともと私はケリー派じゃなくアステア派だし。
ケリー派だったら十分満足できるんじゃないかな?太もも二の腕むき出しの海賊衣装も、タッパはないけど体育会系なガタイのケリーには納得のマッチングだった。
恋の売り込み作戦
恋の売り込み作戦
1959年、チャールズ・ウォルターズ監督作品。カラー。
「理想の男性をどうつかまえるか?」という永遠のテーマを追う、いかにもなラブコメ(笑)
昔TV録画したVHSテープの中から出てきたので再見。

田舎から都会へ出てきたばかりの、純情だけどどこかチャッカリした天然娘メグ(シャーリー・マクレーン)。誘ってくる男はみんなカラダが目当て、そんなのとんでもない!でも、素敵!と思った相手エヴァン(ギグ・ヤング)は大のプレイボーイでなかなかこちらを向いてくれない…。
メグは、真面目なリサーチ会社社長でエヴァンの兄でもあるマイルズ(デヴィッド・ニーヴン)に、リサーチやマーケティングの理論を応用してエヴァンを陥落させられないかと相談する。弟を結婚させ落ち着かせたい(仕事をちゃんとさせたい)と常々考えていた彼は、「面白い!」と彼女に協力することにするが…

集めたエヴァンの女友達のデータに従い、変身を重ねるマクレーンが楽しい。カラダを張ってリサーチしてるのはニーヴンの方なのだが(笑)…おおッ、兄さんヤルじゃん!てな勢いだ。カタブツなようでも、やれば何でもできちゃうのね(元々が洒脱の権化ニーヴン様ですから)。
しかしおおかたの予想通り、完全にエヴァンの「理想の女性」になる頃には、メグの心を占めるのは彼ではなくなってしまってるワケで。誰って?そりゃお兄様に決まってます。

天然なマクレーン、紳士的なニーヴン、お気楽なヤング、ともに手慣れた役柄で安心して見ていられる。軽いけど懐かしいノリのコメディです。OLたちが恋愛や結婚について語り合う場面も意外とあけすけでリアル感あり。しかし、その辺に出てた弟のアドレスブックを勝手に見てリサーチするなんて、今だと訴えられるぞー(笑)

残念ながら海外でもVHSしか出ていない模様。一応日本の密林でも買えそうなのでリンクは張っておきます(字幕はないけど)。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/6302641780?ie=UTF8&tag=boatswascot-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=6302641780
1961年、ビリー・ワイルダー監督作品。モノクロ。
東西冷戦時代のベルリンを舞台にした社会風刺コメディ。大昔TVで吹替版見た筈だが、スカパーで字幕付でやったので再見。

コカ・コーラのベルリン支社長がジェームズ・キャグニー。エネルギッシュなワーカホリック、でも金髪秘書とのドイツ語特別授業?にも熱心な、ひたすらパワフルな上昇志向アメリカンです。東側への売り込みにも「目指せヨーロッパ総支社長!」の夢を賭けて頑張り中だが、社長は「東側なんかどうでもいいから、今度そっちへ行く娘がトラブらないよう面倒を見てくれ」と電話してくる。ところが、ほれっぽくて能天気な17才の社長令嬢パメラ・ティフィンは、キャグニーの目を盗んで、あっというまに東ベルリンの熱烈共産主義青年ホルスト・ブッフホルツと結婚しちゃった。さあ社長が視察に来るまでに、二人を別れさせなきゃ!ところが彼を始末したとたん妊娠が発覚したから、今度は何とか「立派な婿」に改造しなきゃ!

手段を選ばぬ(ホント酷いんですよ(笑))、キャグニー八面六臂の大活躍が、終盤に向けてどんどんどんどんどんどんスピードが上がってゆくのがとにかく凄い(笑) 効果的に「剣の舞」の曲が使われているけどほんとピッタリ。

資本主義者も共産主義者もナチスドイツも(男秘書にはやたらカカトを打ち合わせる癖か…)、誰も彼もが笑いのネタにされてる。ワイルダーの人の悪さ爆裂って感じのドライなコメディです。この支局長、一歩間違えば「地獄の英雄」ですよ(笑)

結局一番共感を呼ぶのは、仕事中心の夫に不満な支局長夫人(アーリン・フランシス )か、何も考えてないけどピュアな社長令嬢かな?でもここまで何も考えてなくていいのかオイ(笑)

点数は控えめにしたけど、とりあえず初めて見る人は問題なく笑えると思う。腐ってもワイルダーですから。(日本でつけられたヘンな副題は無視しましょう。ぜんぜんラブハントじゃないし…)
高速回転中のエンジンみたいなキャグニーの、指パッチン(笑)も一見の価値あり。

あと、1955年の映画「黄金の賞品」でリチャード・ウィドマークが乗ってた可愛いメッサーシュミットの二人乗り屋根つきバイクだか二輪自動車だかが、この映画でも道を走ってたのでビックリ。まあ型番は新しくなってるんだろうけど、そんなに長いこと流行ってたんですかね。「黄金…」も今月中に再見する予定。
蜘蛛の巣
蜘蛛の巣
蜘蛛の巣
1955年、ヴィンセント・ミネリ監督作品。カラー。

国内外ともDVDもVHSも出ていないので、字幕なし録画で視聴。蜘蛛の巣とは人間関係のぐちゃぐちゃさを指している模様。こういう作品こそ、字幕が要るんですけど…(涙)
わからなくても、とりあえずご贔屓リチャード・ウィドマーク様が出ている限り一度は見る甲斐ある筈、と頑張りました。人間関係の複雑さは手持ちの古雑誌や海外サイトのレビューや各種資料で可能な限り補完したけど、まあ話半分で読んでください。

舞台は、マッカイヴァー医師(リチャード・ウィドマーク)が進歩的な運営を試みている精神病院。彼は患者たちに自治会を作らせ、成果をあげている。が、妻カレン(グロリア・グレアム)は仕事熱心すぎる夫に欲求不満。ベテランのドヴァナル医師(シャルル・ボワイエ)は偉そうにしているが実権はマッカイヴァーにある。軽度の患者を診るのがメインらしく建物も美麗。
トラブルのもとは病院図書室のカーテン新調。事務方の女ボスである老嬢ヴィッキー(リリアン・ギッシュ)は経済性重視で検討開始。患者自治会は患者の一人である青年スティーヴィ(ジョン・カー)のデザインで自分たちで手作りする計画を立て、マッカイヴァーと新任職員メグ(ローレン・バコール)がサポートすることに。一方でカレンは夫の気を引きたさに、ドヴァナルに相談しつつ勝手に上等のカーテンを注文する。

たかがカーテン。
なのだが、各自の考えがちゃんと通じてない上、人間関係もこじれてるために、病院内は思いがけず大変なことに…そのへんの行き違いのタイミングの複雑さ精妙さはかなりのもので、粗筋を簡単にまとめようとしても簡単にならない(笑)。タイトルに恥じない、目の離せないお話なのだけど、残念ながらどうもカタルシスがなくて…。多分わざとなのでしょうが(皆新規まき直しモードに入っているのに、レナード・ローゼンマンの音楽は最後まで暗いまま)、悲劇に終わるのでないのなら、やはり少しはスッキリサッパリしたいです。
というわけで、全体としては、少々残念な映画でした。

だって個性派演技派がずらりと並んだ、結構凄いキャストですよ。中心となるのは上の六人ですが、患者の中にはオスカー・レヴァントとスーザン・ストラスバーグも。子役は「帰らざる河」やTV版ラッシーのトミー・レティグ、ドヴァナル夫人に元祖キングコングヒロイン、フェイ・レイ。
彼らの演技合戦を見ているだけで退屈はしないのですが…
優しい老夫人役が多いギッシュが凄い迫力だったり、カレンにも言い寄るドヴァナルの情けない女癖とか(流石に上手いですボワイエ)、美人なんだけどエロくてヒスなグレアムとか。一癖ある演技派グラマーとしてこの頃注目されてたらしいけど、確かに妙な存在感がありますね。

誰もかれもが歪んでる中、真摯に仕事に打ち込んでいるのはウィドマークとバコールだけなんだけど、妻のヒスに辟易の彼と最近夫と子供を亡くしたばかりの彼女は、ついつい心を寄せ合うようになる。やたら肩むき出しなグレアムと、常にしゃきっと襟を立てたバコール、それぞれ見目良い女性ですが見事な対照。バコールのエレガントな立ち居振る舞いを見ると、無理もない、という気にすらなります。自分と同じ方向を見てくれる女性の方がいいに決まってるし。でも彼には可愛い息子と娘もいる…

「精神分析医ウィドマーク」はこれまでの映画歴中、最も知的レベルの高い役柄といえましょう(笑)が、よくハマっていて好感が持てました。医者役がこのあと70年代の「コーマ」までないのが不思議なくらい。面白く感じたのは、スティーヴィが描いた絵の中に彼の絵もあるのですが、ちょっと顎のあたりへ手をやったポーズなんですね。映画の中で、確かに彼の手は雄弁です。椅子にふんぞりかえって患者や部下と話をしながら、しばしば手や指を顎や頬や額にかざしたりしてます。中肉中背、特別押し出しのいい人ではないし、手もゴツくない。手をすいっとひらめかせることで、知的な威厳を醸し出してるのですね。逆に、追い詰められた終盤では手を使う暇はありません。髪や衣服もちょっと乱して、身一つの頑張りのみ。
悪役でも策士的な「折れた槍」のベン役なども、結構手を使っていましたっけ(但し父の圧迫の強い回想部分ではやりません)。直情径行のトミー・ユードーとか「復讐鬼」のレイとかだと、有りえない。ただ、トミーが殺意の高まりとともに、口元の涎をふくような手つきをした所は別の意味合いで忘れられないしぐさですが。

ちなみに私もあれこれ考えながら人と話をするとき、つい顔を触ってしまう癖があります。考えてやっていないので、威厳が出るどころか化粧がハゲるだけですが(^^;)エライ違いだなあ。

あと気がついたのは、不安定な心に苦しみながら淡い恋に落ちるカーとストラスバーグのデートシーン、映画館で流れる曲からすると「略奪された七人の花嫁」な模様ですね(笑)
さすがに自分の作品は避けたけどMGMミュージカルで、ってことなのね。

しかしほんとに、字幕がなあ…。ジュネスでもいいから出してほしい…
英語字幕あるなら海外盤でも大歓迎。即買いますが。
…ついこないだまでYouTubeにもあった筈が、今日見たら消えてたし(T^T)
1951年、チャールズ・クライトン監督作品。モノクロ。イギリス映画。

冴えない堅物の銀行員ホーランド(アレック・ギネス)は毎週金塊輸送車に添乗していたが、ある日土産物製造業(国内外の名所型の小物、例えばエッフェル塔の置物とか作ってそれを輸出もしてる)を営むペンドルベリー(スタンリー・ホロウェイ)と知り合って、バッチリ冴えた金塊強奪計画を思いつくのだが…


英国人の国民性は、カタブツだ俗物だという先入観を抱かれているのだが、それがハジケるときの爆発力はすごい。「カインド・ハート」(http://13374.diarynote.jp/200907181339599494/)でも、英国人のユーモアはこの国民性イメージに反比例するがごとくに奥深い…というようなことを書いた気がするが、これはユーモアをもって描かれる、英国的冒険精神の物語だ(笑)
…もちろん泥棒映画だが。

だが、シロートの、ごくフツーのオジサン二人が知恵を寄せ合い、つまらない現実からはばたくべく計画を練る姿の可愛らしさ。誰も傷つけるつもりはない。行く手に立ちふさがる難題をどう乗り越え、どう計画を遂行するか…やっぱりシロート、ぎこちなく頼りないながらも、その一生懸命さがなんともいえないイイ味の物語。
この映画について、ブラックユーモアと書かれているかたもあるが、これはむしろ、オジサンたちの夢と冒険精神と男の友情のサスペンスコメディだ。だから後味もいい。ホーランドに「走れ!」と叫ぶペンドルベリーは素敵だし、胸を張って高飛びの彼はきっと何一つ悔いてないだろう。

しかしギネスは上手いなあ。ピーター・セラーズが泥臭く見えてくるよ(といってもピンク・パンサーシリーズ程度で、セラーズ作品全部ちゃんと見たわけではないのだが。この人のも多分、本当にいいモノは未公開では…)。そして、「小心で神経質」なギネスと組むホロウェイ、この人もイイ。「マイフェアレディ」の下町オヤジが一番知られてるんだろうけど、ここでは美を愛しシェークスピアを引用しまくる日曜画家で、自分の稼業の土産物業を「醜悪」と思ってる、おおらかで人のよさげな中流紳士だ。ギネスと素敵な対照を醸し出している。

あえて細かい流れは書かずにおきます。何もきかずに、とりあえず見るベシ。
オジサン好きには特にオススメ。女っけはほぼナシです。売れる前のオードリー・ヘプバーンがワンカットだけ「通りかかる」のは結構知られていると思いますが…


しかし最近のユニヴァーサルは素晴らしい。日本では噂のみ高く未公開だらけだった所謂“イーリング・コメディ ”を廉価で連発してくれるのだから…。大昔「マダムと泥棒」をTVで見て感心して以来(そしてたぶん和田誠さんの本かなにかで)、英国にイーリング・スタジオあり、いやありき、というのは知っていたのだが、先日の「カインド・ハート」といいコレといい、聞きしに勝る小味な傑作群であると実感できた。字幕の質は不評なのが多いようだが無いよりは…(^^;)
次は「白衣の男」を狙おう。コレもギネス主演、コレもユニヴァーサル発売☆
1984年、テイラー・ハックフォード監督作品。

ネタバレてます!
この映画に期待や思い入れのある人は読むべからず。


おとといの日記(http://13374.diarynote.jp/200908012309006915/)のお約束。「過去を逃れて」を見たから今度はそのリメイク作品を、てことで鑑賞。今回も、主演三人(ジェフ・ブリッジズ、レイチェル・ウォード、ジェームズ・ウッズ)の誰にも関心はない…のはある意味同じなのかもしれないが、とにかくやっぱり新しい映画は苦手だ~(爆)濡れ場の描写もコッテコテだしさ~。
モノクロ映像でも昔の建物のほうが近代的高層ビルより、ずっとうつくしいしね~。

主人公(ブリッジズ)はケガでクビになりかけのアメフト選手。友人でもあるちょっとアブナげな店のオーナー(ウッズ)に頼まれ、彼を刺しついでに5万ドルを失敬して消えたお嬢様(ウォード)を探す仕事を引き受ける。ふむふむ、なるほどリメイクである。骨子はだいたい一緒ね。恋に落ちて一緒に逃げようとか、追ってきた男を殺してしまって、とか、主人公後半ハメられて殺人の濡れ衣をきせらせれそうになる、とか、複雑な筋は元作品を見ていなければやはりわかりにくいだろう。というか、余計わかりにくくなってるんじゃないか(笑)

元コーチが主人公たちを探しに来るんだけど、何であそこで銃が出るのかな、とか、お嬢様なのになんで5万もかっぱらっていくのかな、とか、わかりにくい点は多い。主人公にも魅力は感じないがヒロインの悪女度が中途半端なのがなんだかねー。自分の生育環境に被害者意識まで持ってるみたいだし。悪女というよりむしろバカ?とか感じてしまう。
ヒロインに半端に言い訳を与えた分、ますますコイツら何やってんだか感が強まってしまった。またその中途半端さを補うためかさらなる黒幕(リチャード・ウィドマーク)を設定したようだが、ウッズとウィドマークとその部下とヒロインが車で主人公を追いながら四人モメてるって何とも困ったものである。

過去作のヒロイン"史上最強の悪女"ジェーン・グリアを「ヒロインの冷たい母親」に持ってきたのは過去作リスペクトとしていいキャスティングだろう。母と娘の描き方は物足りないが(娘を理由ある悪女にするならもう少し工夫がほしい)。myご贔屓ウィドマーク様は貫録を見せるためにちょこっと出てきているだけで、すっかり金髪が白髪になってしまっているが(70代だし)、知性派のワルとして期待されたモノは見せてくれてる。まぁ彼が出てなきゃ見なかったかも。

そして、意外なことに!ヒロインも主人公も生き延びるのだが(これは必ずしも意外でなかった)、なんと、大黒幕ウィドマーク様もラスト、元気に生き延びてしまうのですね。コレはびっくり。絶対殺されると思ってたのに(笑)

…そして、ここまでブツブツモンクをいいながら、時々早送りまでかけながら(オイ)視聴してきた末に、エンディングで微妙な笑みを浮かべる彼を見たら反射的に「後味ヨシ」と感じてしまった自分…

バカ女は映画の中だけにいるわけではないようです(笑)
1947年、ジャック・ターナー監督作品。モノクロ。

自分を撃ち大金を持って逃げた愛人(ジェーン・グリア)を探しだせ、という組織のボス(カーク・ダグラス)からの依頼を受けた探偵(ロバート・ミッチャム)は、探し出した彼女の「私は盗んでいない、逃げ出すために撃っただけ」という言葉を信じ共に逃げるが…

フィルム・ノワールというジャンルは、特別好きで、というわけではない。たまたまノワールを得意分野としていたスターが好き、ではあるが。「過去を逃れて」の出演者たちも、キライではないかわり特別進んで見るというわけではない、というメンツばかりである(カーク・ダグラスはやや苦手だが、時には「イイ味出してる~」と思う時もちゃんとある)。

だがしかし…“フィルム・ノワール”という言葉に私が期待するモノが、ココには見事にふんだんに揃っている。甘めというかロマンチックめのフィルム・ノワール。優雅な悪女、盲目的な恋に落ち振り回されるタフガイ、味と奥行きのある悪党。陰影を効かせたカメラがちょっと人工的な彼らの魅力を引き立てる。そして素敵な背景…アカプルコ、サンフランシスコ、山小屋、全てを忘れるべく逃げ込む鄙びた田舎町。

そしてなんといっても、各地を転々とするうちに次第に明らかになってゆく、ジェーン・グリアの悪女ぶりが実に魅力的。
いわゆるフィルム・ノワールの女たちは、大抵、見るからに「強い」。皮肉屋でスタイリッシュ、あるいは肉感的・セクシーな迫力を持っている場合が多かったと思う。それがどうだろう。
か弱くどこまでも儚げな風情。「信じて」とあくまでも男に寄り添い保護欲をくすぐる(別に保護される必要などないほど冷徹かつ非情なのですが)。わかっていながら引っかからずにおれない男たち。引っかかりたくなるんですね、うん…。

アンニュイで濃厚なロマンチック全開の前半、そして、仕掛けられた罠から逃れるべく駆け引きを重ねるスリリングな後半。一気に見てしまいました。
グリア以外のメインキャストもみないい味。ミッチャムはトレンチコートが似合い、フィリップ・マーロウ演るならやはりこの人か、というハマリっぷり。いつもの何考えてるかわからない顔つきも物語によく合ってる。妙に明るいダグラスもいい。
救いがないほどの悪女物語なのに、ラストも意外と口当たりがよくしみじみとした後味。ちなみにラストシーンを締める聾唖の青年ディッキー・モーアは「ハリウッドのピーターパンたち」を書いた元子役スターでもあります(本サイト記事参照http://homepage3.nifty.com/Boatswain/door/issatsubn_08.htm#08/06)。
いやー、いい映画ですね~。


さて…次は、…この映画のリメイク「カリブの熱い夜」(1984)を見るか…
あまり気はすすまないのだが(オイ)、一応目は通しておきたいかな、と。リチャード・ウィドマーク様がワキで出てるようだし。新ヒロインの母親役でグリアも出てるようだし。録画時途中を数十分見た限りでは、趣味じゃなかったのだけど。
ふぅ…
目がしょぼつく。最近ちょっと調子に乗って映画見るたび長文ばかり書いてるのがイカンのかも。
なんでこんなに長くなるんだろう。でも書き始めるとだんだん熱くなってくるんだよね(笑)

それにしても、最近はポンドはちょっと上がってきて、むしろユーロが安い。
1ユーロ130円台というのはそそられる。
ドイツ盤かフランス盤に手を出せってことか!(違)

と、ドイツアマゾンを見てみると、なんと!英語字幕(&ドイツ語字幕)つきの「太陽に向って走れ」を発見してしまった。うがー…
悩ましいなあ…

字幕なし英国盤を既に買ってしまっているんだよね。
しかし英語字幕…英語字幕はいいなあ…
今夜も夜更かししてしまいそうだ(爆)

http://www.amazon.de/Sonne-entgegen-Richard-Widmark/dp/B001UJEYUC/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=dvd&qid=1248883869&sr=1-2
1954年、エドワード・ドミトリク監督作品。カラー。

西部劇ですが、濃厚な家庭悲劇ともいうべきメロドラマ。末息子のみを溺愛した頭取一家の崩壊を描いた現代劇「他人の家」のリメイクだそうです。そっちは見てないけど。
輸入盤に手を出したあとリクエスト・ライブラリーでの国内盤発売が決まったりで、かなり長く寝かせていたのだが、来月いよいよRWFCでの課題図書もとい課題DVDなので久々に視聴(大昔TV放映を一度見たきり)。
この作品には色々複雑な思い(笑)があるので、まともな判断はできないと思いますがヨロシク。以下、ストーリーなど。 ネタバレ気味です。ご注意。

三年の刑期を終え、出獄した主人公ジョー(ロバート・ワグナー)を待っていたのは、三人の異母兄たちだった。長兄ベン(リチャード・ウィドマーク)は「金をやるから6時の列車でよそへ行け」と言うが、ジョーは拒絶し、昔住んでいた屋敷跡へと向かう。(ジョーが札束を痰壺に投げ入れて去った後、パチリと指を鳴らして「拾っておけ」と弟たちに命じる冷酷王ウィドマーク様。シビれます(笑))
彼ら兄弟の因縁はこのあと、回想形式で語られてゆく。

一代で大帝国を築きあげた大牧場主マット・デヴロー(スペンサー・トレイシー)には、先妻との間に三人、そして先住民(インディアン)の後妻との間に一人、計四人の息子がいた。が、彼は「出来がいい」と末息子ジョーのみを可愛がり、他の三人は雇い人並にこきつかうばかりだった。当然、ジョーは父に愛を返すが、兄たちは父へおそれと反感を抱き、特に次男(ヒュー・オブライエン)と三男(アール・ホリマン)は自牧場の牛を盗んで売ろうとするなど盛大にダメ人間ぶりを発揮していた。(まあ、愛されてのびのび育てばその分出来がよくなるのは当り前だろうし、その逆も真なりである)
そんなある日、近くの銅精錬所から廃水が流れ込んだため、牧場の牛が何十頭も死ぬ。法に訴えた方がというベンの意見を退け、マットは精錬所に乗り込むが、こじれて裁判沙汰になる。これまで法でなく力で自分の信じる正義を貫いてきたマットだが、時代は変わりつつあった。父の窮地を救うべく、ジョーは自ら罪をかぶって「短期間の」服役を買って出るが、父と兄たちの確執の中、刑期は予想外に長いものとなり、その間にマットは健康を害し悶死に至る。葬儀に参加を許されたジョーは、兄たちの前で大地に槍を突き立てる。それは先住民の「復讐を誓う」儀式だった。
そんなジョーに対し、「憎しみは捨て、愛する者と自分の道を行け」と母は諭すが…

昔気質の大立者を演じて貫禄十分のスペンサー・トレイシー。
そして泥沼化する骨肉の争い、先住民差別の問題(混血のジョーは知事の娘との仲を裂かれかける)、変わり行く時代(法の権威上昇や工場廃水問題や)など盛りだくさんなシナリオと、見所は多い。
頑固一徹、傲慢で誇り高く、先住民への偏見を持たないまっすぐな人物でありながら、他人の心を平気で踏みにじる無頓着さ冷酷さも備えたカリスマ。憎まれ役でもある筈なのだが流石はトレイシー、実に風格たっぷりである。相争う兄弟の名前がジョーとベン、というのも、旧約聖書起源なノリであるが、物語に漂う神話性もトレイシーあればこそだ。

ただ…魅力のある物語なのだが、傑作と呼ぶには、バランスが、ちょっと…
主人公が、サワヤカ男前なだけの若造ロバート・ワグナーじゃなー…
父トレイシーと、やはり達者な兄ウィドマークに挟まれては、どうしても少々見劣りする。

先妻の子らの中でも、長兄ベンだけはそれなりに能力がある。なのに父に認められない彼はかなり気の毒な人物でもある。鬱屈を漂わせつつも常に父に従い働いていたベンは、ジョーの収監後突如反乱を起こし大牧場の実権を奪い取る。その彼をマットが説得しようとするがこれがまた実に、痛い。
初めてお前に「頼む」のだから、と話を始めるのだが、「何が気に入らない、ジョーのほうが有能なのが憎いのか?」とか、いきなり何ケンカを売ってるんですかこの親父は?、てな展開。ベンが長年溜めこんだ思いをぶつけてみても、「気に入らないなら何故出て行かなかった?」と見当違いな言葉しか返ってこない。背くことで漸く正面から向かい合えた父であるのに、話せば話すほどベンの傷と絶望は深まる。

回想場面のウィドマークは、かなり抑えた演技で、セリフも多くはないのだが、巨大な父の圧力に否応もなくその人間性を潰されてゆく長男の悲哀を抜かりなく表現している。聖書のヨセフ(=ジョーゼフ)とその兄弟たちの物語は和解で終わるが、エコヒイキな絶対神に罪へと追いつめられるカインの物語もこの映画の裏には見え隠れする。
意外なことに、回想の中のベンは本人も言うように、必ずしもジョーを憎んでいるようには見えない…(キサマもたまには苦労しろ、くらい勿論思ってますが)
だが、父の死と、突き立てられた槍が、彼の中の何かを完全に壊してしまう。

…てなふうに、ついベンの方に気がいってしまうのは、私がウィドマーク様ファンだからなだけではないと思うのだがいかがなものだろうか。まあ反射的に贔屓も入ってしまうのだが。

ちなみに、偏見なくジョーを愛する勝ち気でけなげなヒロインはジーン・ピータース。悪くはないのだが、ここでもキャスティングのバランスの悪さが私の邪魔をする。だって彼女、つい先年「拾った女」で、めっちゃ熱くてスリリングなラブシーンをウィドマーク様と繰り広げたぱかりではないですか!そのウィドマーク様が同じ画面内をウロついてるとゆーのに、ワグナー君なんかじゃ物足りなくないですか、とか言いたくなる。勿論、双方ぜんっぜん違う役柄と演技なんですけども、ねえ…


私好みな様々な要素を含みつつ(なのでかえって評価難しい)、傑作になりそこねた一作と感じました。(で、★3か4か激しく迷ったけどやっぱ4に変更)
ただまあ、そういう映画って後をひくんですよね。自分ならこんな風に話を作るし~、どんでん返し入れちゃうし~、等と、色々妄想のふくらむモトになってその楽しさで忘れがたい作品になったりする。邪道な楽しみですけれど…(でもいろんな映画でやってる(笑))。

とにかく「10歳で一日16時間働かされてた」ってかなり酷いと思うな。
「10歳?…萌え~」とか思うのは間違っていると自分でも分かっているが(爆)

月蒼くして

2009年7月25日 映画
1953年、オットー・プレミンジャー監督作品。モノクロ。

先月末にツタヤのネットレンタルお試し無料サービスを申し込んだせいで、今月は映画レビュー日記が増えていたのだが、その最後の一枚。実はコレが本命だった。

プレミンジャーというだけで問題作や実験作なイメージがなくもないのですが、これは舞台劇、それもラブコメの翻案。当時としては刺激的なセリフ(清純そうな娘がsex関連語を連発する)に満ちていて話題になったらしいのだが、今見るとどこが刺激的かは、相手役(♂)の反応を見ないとわかりっこない状態(笑)
それでもテンポのいいセリフのやりとり、人物の出し入れのスマートさは保たれてる。

物語はエンパイア・ステート・ビルから始まる。
若い娘パティ(マギー・マクナマラ)が一人、ビルの展望台の切符売り場と同じフロアのドラッグストアを、どうするか迷うそぶりでウロウロする。店にいた建築家のドン(ウィリアム・ホールデン)が彼女を見染めて、展望台まで追ってゆき、声をかける。“プラトニック前提で”首尾よく夕食を共にする約束はとりつけたが、彼の高級アパートへ立ち寄ったところ、「まあ素敵なキッチン!ワタシがお料理してあげるワ、雨も降り出したし家で食べましょう」という展開になる。

ところが冷蔵庫はからっぽだったので、ドンが買い物に出た間に、珍客到来。実はドンは同じアパートに住む婚約者(ドーン・アダムズ)と喧嘩別れしたばかりなのだが、その父デヴィッド(デヴィッド・ニーヴン)である。娘が「ドンに傷つけられた」と言ってるがどうなってるんだ?…と訪ねてきたのだが、風変わりなパティの言動が気に入り、彼女を口説き始める。夕食は三人でとることになりドンは不満顔。
ドンに未練な婚約者や意外な人物の乱入もあり、楽しいデートの筈が大騒ぎの末ワビしい翌朝を迎えたドンだったが…

いやー、なんといいますか、もう死語ですか?「カマトト」って。
清純なのかアバズレなのか、とめどない地雷まじりのおしゃべりで男を惑わせたじろがせる、オスマシ顔のマギー・マクナマラが素晴らしいです(服装は完全に清純シンプルですが)。さして美人じゃないしグラマーでもないけど、とにかく可愛くて可笑しくて。この役でオスカー候補にもなったらしいですが、オードリー・ヘプバーン(「ローマの休日」)が相手では仕方がない。しかし、カマトト対決とはいえるな…。

そして、前評判通り、小粋で優雅なダメ親父を演じるデヴィッド・ニーヴンがまたとんでもなく素晴らしい!!のべつまくなしにグラスを傾けながら、娘のことは二の次で、…うーん、アンタ何しに来たの?しかもいったい何杯酒飲んでるんだひと晩で…。最初、娘とドンがどんな喧嘩をしたのかよくわからないものだからパティに「キミ、ドンは節操のある男だと思うかね?」「ええ 魅力的よ」「私も魅力はあるが節操のない男と言われる」
…これはその後の彼を完璧に言いあらわしております(笑)
節操はともかく金持ちでイヤミがなくてユーモアと品があって、序盤にパティも「若い男より結婚するなら落ち着いた中年男性がいいわ」なんて言ってたもんだから、ドンとしてはかなり危機感を覚えますわな。

序盤のホールデンの口説きのテクもスマートでしたが、後半はいささかニーヴンにさらわれてます。ゴールデン・グローブ男優賞(コメディ・ミュージカル部門)を獲ったこの作品が、“小粋な中年紳士”ニーヴン最盛期の幕開けといえましょう。30年代からずーっと映画界にいた人なんですけどねえ(笑)。

当時仕様ではウルトラモダンな恋愛コメディ、今では…むしろ上品でいいよ(笑)、いまどきのナマナマしいコメディと違って(笑)

ま、期待しただけのモノ(ニーヴン見たさで借りた)は見れました!よかったよかった。

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