1947年、ノーマン・Z・マクロード監督作品。カラー。

大衆向け出版の編集者ウォルター・ミティ(ダニー・ケイ)は、母親(フェイ・ベインター)と二人暮らしの気弱な青年。上司にはアイデアを盗られ放題、毎日口うるさい母親の言うまま通勤途中は買い物に励み、母親の友人の娘(アン・ラザフォード)と婚約中だがイマイチ尊重されていないような…(彼女のペット犬と比べても扱いがビミョー)。冴えない日常のせいか、仕事で読みまくる娯楽小説類の影響か、何かにつけて白昼夢に捕らわれる癖がある。

空想の中のウォルターは嵐と戦う船長だったり天才外科医だったり撃墜王だったり、常に英雄的で洒落者で、傍にはウットリ彼を見つめる美女(ヴァージニア・メイヨ)がいる。ところがある日、夢の美女にそっくりなロザリンド(メイヨ)に出会って以来、ウォルターは妙な事件に巻き込まれる。怪しい組織に狙われている彼女と伯父を、ウォルターは助けることが出来るのか?

最初は逃げ腰だった主人公が、次第に肚が座ってきて彼女のためにと頑張り始めるのだが、組織に捕まり「美女も陰謀も白昼夢の中だけの存在だったのだ」と騙されそうになるクライマックスがいい。空想と現実の入り混じる話というのは基本的に大好きで、点も甘くなりがちな私なのだが(「パリで一緒に」や「おかしなおかしな大冒険」もTVでだが複数回見ている)、空想と現実の入り混じる演出を、逆に必然性のあるものと感じさせる可笑しくて巧妙なシナリオ展開だ(序盤のロザリンドの行動は、ちょっとわかりにくいが)。
そんな陥れられ方をした後でもなお、真相に気づいて再度敵のアジトに駆けつける主人公が、信号待ち中にまたまた空想の中で西部劇ヒーローになってたりするのがまたイイですね。空想してる場合じゃないってのに(笑)。筋金入りの空想家。素敵だ。

敵側では組織のボスより、部下のボリス・カーロフが、ドクターと称するだけに知的で目立つ。メイヨはまあ特にどうということも。母親役ベインターの方が印象に残りました。結構溺愛してるんだけど結果的に支配しちゃってる母親、深刻にもなりうるだろうが軽く描いてる。

ダニー・ケイは、ままならぬ日々に憂い顔なのが可愛かった。白昼夢の中では二曲ほど歌って芸達者を披露。そして特に"Symphony For an Unstrung Tongue (The Little Fiddle)"は、東欧訛(ユダヤ訛?)の偏屈教授カリカチュアと思ったら楽器の恋物語の歌で「その正体はグロッケンシュピール!」のくだりにはわけもなくバカ受けしました。なぜグロッケンシュピール!!名前がぎょうぎょうしいからかしら。コレといいフランス人ぽくまくしたてる"Anatole of Paris"といい、やはりこの人は基本「口の芸人」だなーとも再認識。全身を使う芸ではないんですね。作品によってはもっと体使って踊っているのかもしれないけど。
ただ、面白いのは面白いけど、どアップを多用しすぎるのは芸の見せ方としてはクドい気もします。ぼけーとただ憂い顔で車運転してる時のほうが魅力があるような気も…(爆)

図書館のVHSで視聴。画像がかなりボワワンと滲んできていたので、カラー撮影の美しさで知られたこの映画は、レンタルでもいいからDVDで見たほうがよかったのかもしれません。
実は同時に予約した「ヒット・パレード」も借りているのですが、ケイが2本続いておなか一杯になったので、いつでもタダなんだし一度返して間を空けよう。「ヒット・パレード」は「教授と美女」のリメイクのようだから期待できそうな気はするんですが。

ケイの芸よりシナリオのうまさで★4。
ついに、初めて、musicをファイル買いしてしまいました。

起きぬけ、出勤前にAmazon.ukから輸入盤サントラ一枚買って("Call Me Madam")、でもそれが届くのいつ?と思い始めたらたまんなくなってダウンロード販売に手を出した。Amazonのほうが安いかと思ったけどAmazonは結局日本向けにmp3ダウンロード販売してくれないみたいだからiStore。

しかもなぜかiTuneの設定が米国店舗になっていて日本店に変える方法がなかなかわからなくてムカついたし(他国店舗からは買えない仕様)、変えられたら変えられたで、なんで米国店で0.99ドルの曲が、150円なんだーーーーーーーーーー! とさらなるムカつきに襲われました。為替相場と大違いじゃん。日本のアマゾンで欲しい曲入りの輸入盤のサントラCDが激安で売ってるのを知っていたので、ちょっと迷ったけれど「今欲しいスグ欲しい」の衝動に負けました。
あれこれ苦労すると逆に意地でもスグ欲しいと思ってしまうのが人のサガ。ここんとこ毎日AmazonやiStoreで試聴ばっかしてたしな…(←病膏肓)
アルバム中一曲だけですが、強引に購入しちまいました。二度と購入しないかもしれんけど。
0.99ドルって、高いのか安いのかわからん。と、思ったけど、それが150円は高価いと思うぞ(爆)←貧乏人根性。

まっとにかく、これで私のiPodにドナルド・オコナーの“A man chases a girl”が♪

「雨に唄えば」でダンスのうまさは知っていたけど、彼の歌の素晴らしさには「ショウほど素敵な商売はない」のこの曲で初めて気付きました。
「雨に…」ては、コミックソングしか歌わなかったからなあ彼。(恋愛は、全部ジーン・ケリーにおまかせだったし)。しかーし!一見地味ィなオコナーだが、ロマンチックな歌を歌わせると、意外なくらい良いノドなのだ。
なんかこのナンバーには大変に、虚を突かれた。
人間、見た目通りなものよりも、思いがけず☓☓、という意外性にこそ、グラリと揺らぐものなのである。

さあ、iPodでいつでもどこでもウットリだ~♪ ("Call Me Madam"も早く来ないかな…)
1959年、メルヴィル・シェイヴルソン監督作品。カラー。
ビデオの画像が出ないのでサントラCDの画像を。

1920年代、若き日のグレン・ミラーやトミー・ドーシー、アーティ・ショーなどそうそうたるメンバーを引き連れる売れっ子バンドリーダーだったコルネット(トランペットをちょっと小さくしたような楽器)奏者レッド・ニコルズをダニー・ケイが演じた伝記映画。

ユタの田舎から出てきたレッド(ケイ)は、自分が作曲・編曲した楽譜を山ほど持ち歩く、自信と野望にあふれた青年。歌手のボビー(バーバラ・ベル・ゲデス)と結婚し、結成した自分のディキシーランドジャズバンドは人気沸騰、娘ドロシーをも得て、順風満帆…と思われたが、小児麻痺にかかり歩けなくなった娘の看病に専念すべく音楽を捨てる(家庭を顧みることが足りなかったとの自責の念のせいもある)。が、やがて彼は、十年余のブランクを乗り越え、妻と娘の励ましで奇跡のカムバックを遂げるのだった。

序盤、巷で大評判のルイ・アームストロング(本人)の店に演奏を聴きに行き、酒の勢いでつい舞台に上がりこんで強引にセッションしてしまう場面がいい。上がった途端に気分が悪くなりトイレに駆け込むのだが、ボビーに実力を見せたくて再挑戦、コルネットで「リパブリック賛歌」を吹きつつ客席の端から舞台目指して進んでゆく。ここはちょっとゾクゾクしましたねー(*^^*)

ただ、ここを越える場面が、私にとってはいまひとつ無かった。あまつさえ、奥さんの留守中に娘を夜中に連れ出して「教育上悪い」と怒られたからって、いきなり娘を寄宿学校に放り込む話になる?さっき"魂の兄弟"とか盛り上がってた娘をですよ?まだ「何が何でも巡業につれてく」とダダをこねるなら分かるのですが…。奥さんも一度は娘とブルックリンに引っ込むとか言ってたくせに結局夫について回って、娘に淋しい思いをさせる。そーゆー中途半端をするなー。と、どうもこの夫婦の人間性になじめないものを感じたのでした。音楽と家族愛の感動の名作、というのが一般的な評価なのですが、ひねくれすぎでしょうか私。幼い娘が「パパに裏切られた」という思いに捕らわれるのも無理もない。それを悔んで自らコルネットを海に投げるニコルズですが、娘の為にと、挨拶もなくいきなり楽団も解散してびゅっと新居にこもってしまう。…楽団員たち困らなかったんか、とコレも気になったりする。

父親の過去の栄光を覚えていない娘が大きくなって無邪気にグサッとくる言葉を…とか、奇跡のカムバックへ繋げる終盤はうまくジリジリさせますが、いったん主人公から離れた気持ちが最後まで完全には戻りきらなくて(音楽を捨てたニコルズは悟りきってるわけでもなさそうでイラつき気味だし)、中くらいな映画、としか結局私の中には残りませんでした。残念。

ここ数日のコメント欄のやりとりもあって、ついちょっとドナルド・オコナーと比べながら観そうになったりするのもよくないのだろうけど、まともに見比べるとそんなに似てるわけでもない…多分。個性はかなり違う。歌声はやっぱオコナーの方が好みだな、などと余分なことを思いがちだけど、ケイのモノマネ(サッチモの歌の)は上手いですね。ただ、英語ネイティブな人でないとケイの芸の真の実力は判定しきれないのかも(訛って見せたり変な声出したり)。ケイのせいというより、シナリオの人物設定にけつまずきました。
今度は「虹を掴む男」でも見てみようっと。
Call me Madam
Call me Madam
Call me Madam
1953年、ウォルター・ラング監督、日本未公開作品。カラー。

ドナルド・オコナー見たさに手を出した、英語字幕のみの米盤DVD。
「ショウほど素敵な商売はない」でも共演したエセル・マーマンが、ブロードウェイで主演し大当たりを取った舞台の映画化だという。音楽はアーヴィング・バーリン。

物語は簡単。ワシントンでもてなし上手、パーティ上手ともてはやされた気のいいアメリカの成金未亡人が、欧州の小国の大使に任命されて騒ぎを起こすラブコメディ。半世紀も昔だが民間活力の導入ってのでしょうか。具体的には思い出せないが、実在のモデルもいるのではなかったかな。「黄色いロールスロイス」でもイングリッド・バーグマンが「突然外交官に任命されて欧州へ赴いた富豪未亡人」という設定だった。こんなウソ臭い設定、元ネタがなければそんなに何度も使うまい。未公開だしネタバレで行きます。

エセル・マーマン、声量は凄いが日本人うけは悪そうなとっても「濃い」肝っ玉オバちゃんである。今回も、「ショウほど…」以上に、トコトン天然で俗っぽい。映画冒頭の記者会見でも「光栄です、アメリカとリヒテンブルク公国のために頑張りますわ!」と元気な歌を披露したあと「リヒテンベルクへの赴任はいつですか?」「さあいつかしら。リヒテンベルクってどこにあるの?」
…アメリカ人って、「悪気がなくて気前がよい俗物」がそんなに好きなのね…

それでも何とか公国入りして、「握手」と手を差し出したところ、外相コンスタンチン将軍(サンダース)にいとも優雅に手の甲にキスなぞされた日には、一瞬で固まってしまう。オバちゃんでも乙女である。彼が帰った後のオコナーとのやりとり「今、コンスタンチン将軍が来られてたの」「ほう、どんなでした?」「…WOW!(ワーオ!)」
やれやれ、と思いつつも、次第にオバトメちゃんの可愛げに打たれる私だった。赤・黄・ピンクのドレスをバリバリ着こなすアグレッシブなファッションにも力づけられる(?)。私だってもうイイ年だしなあ。それでも長く引きずる正装の裳裾の扱いには爆笑した(いくら扱いにくいとはいえ、アレ、一瞬女捨ててないか?)。すごい、すごすぎる…

一方補佐官ケネス(オコナー)は、街で偶然お忍びの公女マリア(ヴェラ=エレン)と出会う。恋に落ちかけてからプリンセスと気づいてガックリするが、大使館のレセプションで一緒に踊ってもう止まらなくなる。ややこしい恋に悩むオコナーのラブソングに、それを励ますマーマンが一見(一聴?)別の歌をかぶせると一段と素敵なデュエット"You’re Just in Love"になり、この曲は後刻パートを入れ替えて再現されるがとてもイイ。マーマンとオコナーの個性が対照的なぶん、とてもよく合っていた♪

公女には既に王族の婚約者もいて、ヤケ酒のケネスが酒場で歌い踊るソロナンバー、お城の秘密の通路で逢引するケネスとマリアのデュオなど、今回オコナーの踊りは結構ボリュームもあり見ごたえ十分。彼のダンスは若々しい軽やかさとユーモアが身上で、アクロバティックもやるけど(酒場で何度もモロにブッ倒れる振り付けが凄い。あれでケガしないのか…)、ジーン・ケリーのように筋肉とか質感を感じさせないのが逆に私の好みです。アステアもほんとに軽やかだもんなあ(あまり若々しくないけど)。そしてふわふわ降り注ぐ風船を見上げる、なんとも無垢なさまといったら、ちょっと他に無い味わいかも。
そして、声がいい。ボーイソプラノがヘンな濁りが入らずスルっとテナーに昇華したような、少年めいて甘くさわやかな声なのだ。うっかりするとシナトラよりクロスビーより私好み。基本的には頼りなげなボーヤキャラなので、このキャラで中年以降はどうなるか、と思わせぬではないけど、彼がオッサンになる頃にはどうせミュージカルの世界も様変わりしているから結局どうでもよくなったわけで(泣)。

さて、身分違いの二人は「国にお金が足りないから結婚式なんて当分ない」と考えていたが、「将軍のために」とサリー(マーマン)が米国への借款のネマワシをしたため事態が混乱する。公国の首相・蔵相は借款を期待していたのだが、将軍自身は「借金などせず国政改革のみでの財政再建計画を行いたい」と考えていたのだ。サリーも聞いていたのだが、大使館のイヤミな一等書記官(ビリー・デ・ウォルフ)が『あれは外交的戦略、欲しいものを欲しくないと言って見せているだけ』と彼女に吹き込んだのだった。サリーは「素直に信じていれば」と後悔する。

将軍は激怒するし、首相は米大使館のネマワシで国政が混乱したなど米大統領に苦情を言うしで、サリーとケネスは失意のうちに帰国する。やがて彼らのもとに、なんと将軍が新任の駐米大使として(しかも美女同伴で)赴任してくるというニュースが入ってきた。落胆するサリー。が、同伴の女性は王位継承権を放棄しケネスを追ってきたマリアだった!「何とか借款なしで済ますことができた」と、将軍も笑顔でサリーの手を取るのだった。

ハイ、そんな都合のいい…というのはナシです。ミュージカルなんですからね(~~;)
「The West Point Story」の劇中劇なみのプロットですが、欧州の小国がアメリカに借金するか否か?という要素が時代性を感じさせます。冷戦の頃だし、きっと世界中への金のバラまきで(返済など考えない!)米国の影響力を強めたくて仕方がなかった時代なんでしょうな。サリーの俗っぽさも含め、ちょっぴり政治的な皮肉も秘めているような。

それはさておき、ジョージ・サンダース、こんなに100%善人でヒネてなくて、しかも歌う役なんて!とビックリです。なにせ、代表作がアディソン・デ・ウィット(「イブの総て」の邪悪な劇評家)だし、「セイント」みたいなヒーロー役する時でも9割方皮肉屋だし。非常にレアな役どころ。
それでも押し出しの良さは元々だし(コメカミの少し白くなったところが何とも優雅)、歌も案外イケてました。ソフトなバリトンはなかなかです。多才な人だなあ。

ヴェラ=エレンはお姫様にしては庶民的だが、シド・チャリシーみたいなクールビューティではオコナーの手が届かないかも(^^;)。十分踊れる人だし、ま、いいやって感じかな私には(笑)

バーリンの音楽は、舞台が欧州なせいか?いつもよりあっさりめでシャンパンの泡のよう(笑)

http://www.amazon.com/Call-Me-Madam-Ethel-Merman/dp/B0001FR55C/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=dvd&qid=1275147992&sr=8-1

とにかく、素晴らしく楽しめました。見終わるとミュージカルナンバーだけ再度つまみ見。やっぱオコナー見に「夜は夜もすがら」の海外盤も注文しようっと(オコナー以外の出演は、ビング・クロスビー、ミッツィ・ゲイナー、ジジ・ジャンメール)。


ご参考までに、YouTubeリンクをいくつか。素晴らしいDVD画質には及びもつきませんが…

http://www.youtube.com/watch?v=lSFtZ34ZW40
Marrying For Love - George Sanders

http://www.youtube.com/watch?v=1FBDp0g-0_4
Donald O’Connor"What Chance Have I With Love"

http://www.youtube.com/watch?v=ZtO8qs5bYQk
Vera Ellen - Donald O’Connor "Something to Dance About"

予約してた日本盤が届く。ついウッカリまた見てしまった…
米盤も持ってるんだけど…米盤と、ほんとに何の工夫もないじゃんってくらい同じだわ。大塚周夫さんの吹替えがついてること以外は…

とはいえ、TV放映時はやっぱりカットされた部分もあって日本語音声がないところもある。たまにイキナリウィドマーク様のオリジナル声に変ってしまう。やっぱ英語音声の方がいいなー。…アテるなら大塚さんしかいない!がウィドマーク様の声大好きだから♪、

海外盤購入時の過去日記感想はこちら⇒http://13374.diarynote.jp/200711042109490000/
2008年、ミシェル・ゴンドリー監督作品。
新しい映画なんだけど、「映画についてのコメディ映画」「映画への愛がある映画」だと聞いたので、スカパーでやったのをちょっと見てみる。

レンタルビデオ店の店員マイク(モス・デフ)は、友人ジェリー(ジャック・ブラック)が事故(笑)で帯びてた電磁波のため、店のテープの中身が全て消えてしまって大弱り。思いつきで店のテープをテキトーにリメイクしてみたら、町の人々にえらく大受けしてしまって、ヨシこれで市からの立ち退き勧告をはね返せるだけ稼げるかも!と、思いきや…
手作り感が妙にウケて、そして町の住民を巻き込みながらリメイク作戦が雪だるま式に膨れ上がり、盛り上がっていくさまなど、ほのぼのして悪くないです。問題は、私がここ四半世紀分の映画をろくに見ていないこと。ゴーストバスターズもラッシュアワーもロボコップも当然!見てないぞ。エヘン。

なので十分な評価はできないと思います(笑)
それと、映画を見る側というより作る側についての映画だったのね。
みんな、だれでも、映画は見たいけどそれ以上に映画に出てみたい、作ってみたい。
それって楽しいんだ、自然なんだー!という映画、かな。
強引に映画を作ることで、現実を超えていっちゃえという皆の思いにも切ない美しさが。
おバカな主役二人も愛嬌ありです。
魅惑の巴里
魅惑の巴里
魅惑の巴里
1957年、ジョージ・キューカー監督作品。カラー。

かつてバリー・ニコルズ(ジーン・ケリー)率いる一座は、三人の踊り子ジョイ(ミッツィ・ゲイナー)、シビル(ケイ・ケンドール)、アンジェル(ティナ・エルグ)を中心に、パリを拠点に欧州巡業を行っていた。が、今では貴族夫人のシビルが書いた回想録が、やはり結婚したアンジェルから名誉棄損だと訴えられる。法廷に立った彼女らの証言は真っ向から対立する。バリーとの恋のもつれで自殺未遂を起こしたのは、本当はどちらだったのか?
そして"三人目の証人"が出廷すると、「真相」にはまた新たな光が…

ジーン・ケリーMGMでの最後のミュージカル。コール・ポーターの曲は美しくにぎやかだけど案外ケリーはめだたない。
「証言」はそれぞれひとつづきの回想シーンでまとめられているが、シビルとアンジェルが、それぞれ自分の証言(回想)の中では楚々とした常識人・優等生美女なのが、相手の回想の中では色ボケ能天気だったり酒乱だったり別人のようなのが笑わせる。演じるほう演出する方もソコが力のいれどこなんだろう。

特にケイ・ケンドール、一番背が高くて格好いいオトナ美女(英国型美女はやっぱりしゃっきり伸びた首筋がポイントよね★シンプルなシャツブラウス姿が絶品)が中盤であそこまで崩すか?とビックリ仰天(笑)
期待のミッツィ・ゲーナーは振り幅が大きい二人の影でちょっと損をしてる感じだが、ダンス自体はやっぱり一番上手いかな。今回の髪型はもっちゃり見えるので、もっと短いほうがいいと思う…(あと二人が短い目なので長くしたのかもしれないが)。

凝ったストーリーは、つじつまが合うような合わないような(むしろ合わない?)、必ずしもキッチリおさまってくれない。そこが狙いなんだろうけれど(全員自分の都合のいいようにしか言ってないんじゃないか、という皮肉なオチ)、ちょっと中途半端な感じでもある。
まあ、、米英仏三人娘のにぎやかなレビュー&演技合戦を楽しむ小品てところでしょうか。
ケリーってば元気すぎてちょっと、と思う私でも、もう少し元気ないのかなって思いました(爆)
同じ年にアステアは「絹の靴下」を撮っているのに。こちらもMGMミュージカル最終作、てな作品ですが、ケリーよりむしろ元気だったぞ…

「ジェローム・ロビンスが死んだ~ミュージカルと赤狩り」を読んだ直後なので、さすがのジーン・ケリーも疲れてたのかなー、とも思わぬでもないですが。
DOUBLE CROSSBONES
DOUBLE CROSSBONES
DOUBLE CROSSBONES
1951年、チャールズ・バートン監督作品。日本未公開、カラー。
二枚組四作品入り米盤DVDボックス「Pirates Of The Golden Age Movie Collection」にて観賞(英語字幕のみ)。そう、海賊映画四作入りボックスなのだ。CROSSBONESとはぶっちがいの骨印のこと。

このボックス一番のウリはエロール・フリン&モーリン・オハラの「すべての旗に背いて」だろうが(http://13374.diarynote.jp/201001282357548865/参照)、個人的にはこの「DOUBLE CROSSBONES」にも少々期待してた。なんと驚き、ドナルド・オコナー主演ですよ?
帆船好き、従って海賊映画が好きな私。ダイナミックな剣戟が大好きな私だが、実は海賊コメディにも非常に惹かれるものがある。ジーン・ケリーの「踊る海賊」も想像するだけでわくわくしたし(近年DVDで見てみると想像の方が上だったが)、ボブ・ホープの「姫君と海賊」などまさに見果てぬ夢状態だが、こんな所に海賊コメディが隠れていたとわ!しかもジーン・ケリーより好きなオコナーである♪

さて、物語はおどろおどろしげなナレーションから始まる。血塗られた時代の海の無法者たちの名が、一枚絵と共に次々挙げられる。いわく海賊キッド、ヘンリー・モーガン、黒ひげ、女海賊アン・ボニー、そしてブラッドサースティ(血に飢えた)・デイヴ、これだけ実写のオコナーで、振り向きざま「えッ、僕?」とキョトンとするのがオープニング(笑)。いやー、お約束全開。

18世紀のカリブ海(つまりアメリカ独立前)。デイヴ(オコナー)は港町チャールストンの雑貨屋の徒弟だが、知事(ジョン・エメリー)の後見人レディ・シルヴィア(ヘレナ・カーター)に恋をしている。酒もやらず(飲むと発疹が出るアレルギー体質)誠実な勉強家のデイヴに、彼女の方も満更ではなさそう。ところがある日、店を訪れた英国貴族が、店主お薦めの宝飾品を見て「これは○○卿の所から海賊に奪われたもの」と指摘。店主はもちろん無実のデイヴも逮捕されるが、隙を見て同僚ボッツ(ウィル・ギア)と共に逃亡する。
デイヴは酒場で歌い踊って小金を稼ぎ、出港予定の船に乗せてもらうが、実はこれが海賊船(というか、気付かないのが不思議なのだが…)。暴虐な船長は出港後、二人を酔いつぶして海に放り込もうとするが、テキメンに発疹だらけになったデイヴを見て、発疹だ、疫病だ!と海賊たちは船を捨てて逃げ出す。命拾いしたものの、二人きりではまともに操船もできない。
折よく近づいてきた…と思った船は、彼らに死刑を言い渡した知事の乗る船だった。窮余の一策、デイヴとボッツは本物の海賊のふりをすることに。運とハッタリで知事らを圧倒し、船に乗っていた罪人たちを水夫として徴募するのに成功するが、同乗していたシルヴィアには思いっきり誤解されて落ち込むデイヴ。
罪人たちも実は、犯罪者というよりは知事の悪政のため破産した被害者たち。行き場もないし、どうせ海賊扱いされるなら、と、一行は海賊たちの本拠地トルチューガ島へ。が、ここでデイヴは海賊に情報を流すと同時に略奪品の売買で儲けていたのが知事本人だったこと、しかも知事がシルヴィアとの結婚を目論んでいることを知る。愛するシルヴィアに真実を知らせるべく、デイヴは危険をおかしてチャールストンへ取って返すが…

ドナルド・オコナー、「雨に唄えば」の一年前の映画ですが、なんかみょーに若いです(26歳だから若いんだけどもっと若いカンジの役)。美男じゃないけど子役出身なせいか?妙にとっぽい可愛らしさが持ち味ですね。母性本能をくすぐられたらしいアン・ボニー(この映画では凄いウバザクラ)に妙に気に入られたりするのも無理ないような。ありがちだけど、気張って「海賊のふり」をしてる最中にシルヴィアにつめよられるとヘナヘナ…って所も何とも可愛い。
軽量級だし気が弱そうに見えて、意外な所で度胸を発揮する主人公は見ていて楽しい。何となくダニー・ケイに似てるんだけど更にもっと軽やかな感じかな…あまりケイの映画は見ていない、いや、何本かは見た筈だがかなり昔見たきりだからあまり言えないけど。
歌って踊るシーンは一か所だけだったのでかなり残念。十八番の壁上りバック転も決めてくれたけど、もっとあると良かったなぁ。彼の歌声(明るいテナー)は結構好みだ。

たぶん、一般的評価でだと、たいしたことない普通程度な出来のコメディなんでしょう。DVDBeaverの評はえらく低いし(でも画像もいっぱいあるし、参考までにリンクhttp://www.dvdbeaver.com/film2/DVDReviews30/pirates_of_the_golden_age.htm)。
しかし、…コレだ!コレを求めていたんだ私は!カラフルな舞台に脱力系の笑い!
海賊コメディ万歳!
…と、私はひそかに叫んでしまった。
…少なくとも中盤くらいまでは。

終盤のお約束なチャンバラシーンがちょっとダラダラしたのは残念だった。オコナーの運動神経からするともっと盛り上がってもいいと思ったのに、演出がイマイチということか(アボット・コステロ映画ばっか撮ってた監督だし)。雑貨屋の丁稚があまり剣が上手くても変、ということなのかしら。しかしそれを言っちゃあオシマイですし、ストレートな剣戟でなく小道具で工夫という手もあると思うし。とにかく身軽さはバッチリなので。
それでも、まあ、帆船好きで海賊コメディを求める人は一回見てみてソンはないのでは?
オコナー好きには勿論のこと。私はかなり楽しみました。レアですし、映像はとても綺麗。
…今時ピンポイントな層狙いですが…(笑)それと、リージョンは1です念のため。
「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」が始まって数カ月たつが、ようやく私のお待ちかね「ショウほど素敵な商売はない」がやってきた。
いや、「50本」の中でミュージカルを選ぶなら、もっと凄い作品が何本もある筈だが(アステアが一本もないのは言語道断…)、今回50本の中で一番「見たい」と思ったのがこれだった。

これは2年ほど前VHS(図書館レンタル)で見て、すぐにDVDを買いに走った作品。(http://13374.diarynote.jp/200804112327130000/参照)
こんどは映画館のスクリーンで見てみたい、と行ったのだが、正解。当たり前のことだが、やっぱり大スクリーンで見るのとTV画面でみるのとは全然違うね。
リズムが、メロディが全身で味わえる。行ってよかった。

モンロー映画として取り上げられているようだが、あくまでもこれはとある芸人一家の悲喜こもごもの年月を描く人情バックステージもの(モンローは次男の恋人になる歌手役)。ストーリーを繰り返すのはよすが、あらためて見て、この家族愛、ベタなようでも親心のこまやかな描写にまたまた泣けた。子育てにおいて、夫婦は戦友なんだよね。勝てるわけのない戦に肩を寄せ合ってのぞむ戦友。どんな人間関係にも別れがある。子どもを育て上げることは、子どもに「親から離れていく力をつける」ことに等しい。どんなに仲良し家族でも、道が分かれることもある。それでも子どもたちを可愛い、いとしいと思う心で、つまらないことにも共に一喜一憂しながら、夫婦は絆を強めるのだ。
若いころより中年になってこそ沁みるものがある(私はトシ食ってから見たが)。
ダンナを連れてって一緒に見たかったな…

スクリーンで見ると、アクが強いと思ってたエセル・マーマンがDVD鑑賞時よりも魅力的に感じた。肝っ玉かあさんだから、美人でなくても、芝居がかった演技でも別にいいんだけどね☆
ミッツィ・ゲイナーも最高!どうしてミッツィを見ながらコレを「モンローの映画」と思えるのか私にはわからない。スタイル良し踊り良し、キュートでしっかり者の長女をとてもいい感じで演じてる。モンローが悪いわけではないのだろうけど、彼女の役に必要な、舞台に賭ける根性やパワーが、少し不足に感じられるのだ、私には。
モンローを一番上手く歌わせたのはビリー・ワイルダーだと思っている。「お熱いのがお好き」のシュガーの舞台は文句なしの素晴らしさ。

ドナルド・オコナーの軽やかさも大好きだし(困ったちゃんな次男坊なのだが、バカな子ほどかわいいというやつだ。ダンスも歌も上手いのでもっともっと見たかった…)、お父さんダン・デイリーもやっぱりいいなあ。この時代のミュージカルスターの中では例外的に大柄で、スマートだがスマートすぎないいかにもアメリカンな感じがやっぱり素敵。

「ショウほど素敵な商売はない」。
アーヴィング・バーリンの素晴らしい曲の数々にのせて庶民の哀歓を描きだす、やっぱり傑作のひとつなのかなあ。
ちなみにこの歌の歌詞も、ドラマチックでとても素敵です。手ばなしに楽天的にショービジネスを「素晴らしい」と言っているのではない。辛いことも苦しいこともあって、それでも力強く舞台に夢を投げかける歌。

ああ、やっぱり大スクリーンはよかった。
…画質はVHSクォリティな感じではあったが…


<追記>
夜、ウッカリあまぞんで"Call Me Madam"をポチってしまいました…
(エセル・マーマン、ドナルド・オコナー、ジョージ・サンダース主演)
しかし不思議なのは、米アマゾンのマーケットプレイスで買うより、英国アマゾンのマーケットプレイスでしかも同じ店(多分アメリカの店)で買った方が安いことだ。送料の関係、というにしても同じ店だと思うんだがナゾだなぁ(海外でまでマーケットプレイスが定着し始めたダイタンな私…)。
1950年、ロイ・デル・ルース監督作品。モノクロ。
演出家兼ダンサーのジェームズ・キャグニーが、ウェスト・ポイント士官学校へ士官候補生たちの卒業記念ショーの上演を指導しに出掛けるというミュージカル。
共演がヴァージニア・メイヨ、ドリス・デイ、ゴードン・マクレー、ジーン・ネルソンとそれなりに豪華(最後の三人は「二人でお茶を」のトリオそのままだ)。日本未公開で当然日本ではDVDなど出てないので、英国盤DVDにて鑑賞。

ビックス(キャグニー)はブロードウェイの天才児と呼ばれたこともあるが、喧嘩っ早さと競馬好きが過ぎてロクな仕事にありつけずにいる。アシスタント兼恋人のイヴ(メイヨ)にも見放されかけて困った彼は、普段は不仲なプロデューサーの「ウェスト・ポイントのショーに主演する甥トム(マクレー)の指導をしてほしい、ついでに彼を、軍でなくショービジネスに進むよう説得してほしい」という依頼を受ける。
出向いてみると、トムは見事な美声の持ち主。ビックスは「叔父さんより自分と組まないか?」と彼を口説くが、トムは「自分は本気で軍人になりたいのだ」と謝絶する。

そこでビックスは、ショービジネスへのトムの熱意を高めるべく、ショーのヒロインにと旧知の映画スター・ジャン(デイ)を連れてくる。思惑通りに二人は恋に落ちるが、スタジオから帰還を命じられたジャンを追ってトムが無断外出騒ぎを起こしたためショーは中止に。深く反省したビックスは他の候補生たちと上演に向けて奔走するが…


ビョンビョンつま先で飛び跳ねまくるキャグニーにまずは満足ですが(なんつーか空中滞留時間が…)、いやー、ヴァージニア・メイヨって踊れる人だったんですね(爆)
私このヒト「艦長ホレーショ」くらいしか見てなかったもんで気が付いてませんでしたが、キャグニーとピリッとしたダンスを繰り広げてくれます♪マクレーの友人役のネルソンは、よく踊ってるんだけどなんか個性が物足りない。「二人でお茶を」でも思ったけど、なんでかなー。すらっと長身でスマート、運動神経よさげな好青年だけど、アクロバティックさはジーン・ケリー程にはゆかない、スマートさもアステア迄にはゆかない。彼なりの色が薄いので、多分ダンスの「幅」は狭いのだけど強烈に独自のスタイルを感じさせるキャグニーにとても及ばない。ある種の頼りなさを「味」にしてのけているドナルド・オコナーにも至らない。残念な人だ。

ビックスは指導がしやすいよう"士官候補生扱い"で暫くウェスト・ポイントで生活することになる。ガタイのいい青年たちにまじって、小柄でもういいトシのキャグニーがビシっと着こなす制服姿が見ものだが、物語自体は後半ちょっと失速する。理想と誇りをもって士官学校の規律に身をささげる真面目な青年たちに、スレたブロードウェイ演出家が次第にほだされ回心するのだが、「回心」前の粋な皮肉屋ダメ男の方がハッキリいって魅力的。自分でデイとマクレーをくっつけておいて、急転直下「軍人としてちゃんと卒業しなきゃだめだ」と引き離そうとするってどうなの?「俺は今、猛烈に感動しているッ!」なほだされ演技は、上手いのは上手いんですけどねえ。
映画の中の歌や踊り、punch-happyなキャグニーは大いに楽しませてくれるのだが、全体の完成度はちょっと残念。愛国心高揚、士官学校ヨイショな部分はさておくとしても…いや、そういう部分に力を入れ始めたとたんにシナリオがグタグダになり始めたというべきかな?
でもまあ踊るキャグニーは一見の価値あり。フットライト・パレードも見たいなあ。
1940年、サム・ウッド監督作品。モノクロ。
この「恋愛手帖」と、やはりジンジャー・ロジャースがケイリー・グラントと組んだ「恋の情報網」が二枚組500円でヤフオクに出ていたのを、ウッカリ落としてしまった。いや、何か忘れたが欲しいモノから目を離していたら最後の数分で他人に持ってかれたショックのあまりつい入札したのだったような気がする。
だってジンジャー・ロジャース、別に好きでもなんでもないんだもん(爆)…グラントは結構好きだけど。

とはいえ、アステアとコンビを組んで踊りまくった十作品はあるし、ビリー・ワイルダーの「少佐と少女」ではコメディエンヌとしての実力を十分に見せてくれた。その彼女がオスカーを獲った作品なんだから見ても損はあるまいと思ったのだったが…やはり、見せてくれましたね。ユーモラスなエピソードを交えながらも二人の男性に愛されて波乱万丈なワーキング・ガールの恋物語。まさに女性映画…このジャンルも私はあまり興味がないのだけれど、1時間48分、みっちり見てしまいました(笑)

映画の前フリは20世紀初頭の女性の姿。電車に乗れば男どもが先を争って席を譲り、控えめな求愛を受けただけで失神寸前。ければ今では参政権も勝ち取って(すると誰も席など譲らない)、バリバリ働き夜遊びにも励む。そんな「新しい女性」の恋物語ですよ、とわざわざ字幕が入るのである。当時はかなり新しっぽかったということだろうかこの話。

そして本題。NYのおしゃれな婦人雑貨店で働くキティ・フォイル(ロジャース)が付き合っているのは真面目な医師マイク(エドワード・クレイグ)。デートの筈が往診に付き合わされたりしながらも、彼のプロポーズに彼女の瞳は輝く。ところが、新生活へ向け荷物をまとめる彼女のもとへ現れたのは昔の恋人で大富豪の御曹司ウィン(デニス・モーガン)。「妻と別れて南米へ発つから一緒に来て」と口説くウィンに、キティの心はグラリと揺れる。病院で待つマイク、波止場で待つというウィン、彼女はどちらを選ぶのか?舞い上がるキティに向って、鏡の中からもう一人のキティが「ちょっと待って、しっかり考えるのよ。あなたはオトナでしょ」と声をかける。
…ここから先は怒涛の回想シーンになる。というか映画の大半が回想だ。

初めにキティに秘書として働く場をくれたのは雑誌社の社長ウィン。顔良し趣味良しお金持ちの彼はまさに『夢の王子様』だが、キティの父が心配した通り、自分の世界から飛び出すだけの気概は不足している。ヒロインは家柄の釣り合わなさに何度も心を打ち砕かれ、一時は未婚の母として強く生きようと決意もするが、死産の憂き目に合う。一方、根は理想主義者で仕事熱心なのだが、出会った時からどこかヘンな人、マイペースな医師マイクについては、「うーむ、あと少しロマンチックをあげればいいのに…」と思えるところがある。「いつ、自分が恋に落ちたって分かるの?」「僕はお金がないしね、この娘のために10ドル使ってもいいと思えた時かな」。…正直だが、正直すぎるゾ。女性にはなかなか厳しい二択かもしれない(笑)

メロドラマには違いないが、ロジャースのワーキングウーマンぶりには独特のリアルな手ごたえがある。思えばアステアとのコンビが見事にハマッたのも、この世のものとも思えぬアステアの踊りと、可愛いのだけど妙に地に足がついて現実家くさいロジャースの個性との、バランスが良かったからではないか。「少佐と少女」で、"12歳の少女に変装して、しかもなかなかバレない"というトンデモ展開も、序盤の「都会に幻滅して田舎に帰ろうとする"現実に負けちゃったワーキングガール"」ぶりが完璧だったから通じるのだと思う。
しかし、実は「恋愛手帖」でも、回想シーンで"恋に恋する15歳の少女"が出てくる。セーラー服姿だ。「モンキー・ビジネス」でも幼女に戻るらしいし…好きだったんだろか若作り演技…

エンディングはちょっぴりイキナリ感があったが、それなりに面白く見れたので良しとしよう。
Time Limit
Time Limit
Time Limit
1957年、カール・マルデン監督作品。モノクロ。

朝鮮戦争時、収容所での反逆行為について調査する男が辿りついた、いっそう醜い真実とは。法廷ドラマではないがそれに近い雰囲気の、渋い社会派ミステリ?映画。主演のリチャード・ウィドマークは制作も兼ね、友人である俳優マルデンが珍しくもメガホンを取っている。気合いの感じられる作品だ。…地味だけど。
日本未公開だし(TV放映はあったらしいが。「祖国への反逆!第5捕虜収容所」)、今回、ストーリーはもうネタバレ全開とします。

北朝鮮の米軍捕虜収容所で、逃げようとした捕虜が射殺されるシーンから映画はスタート。
タイトルロールを挟み、舞台はNYに(多分)。隙のない態度、悠然たる足取りでオフィスへ向かう米軍の調査官エドワーズ大佐(ウィドマーク)をカメラは映し出す。彼の調査対象は、収容所内で様々な利敵行為を行ったとされるカーギル少佐(リチャード・ベースハート)。迅速に進めろと煩い上司コナーズ将軍(カール・ベントン・レイド)の圧力に悩まされながらも、エドワーズは「すべてを明らかにする」ことにこだわり、捕虜十数名の証言を慎重に吟味するが、カーギルは「真実に何の価値がある」と非協力的で、「自分は有罪だ」と言うのみで黙秘を続ける。

極寒と飢餓、不衛生な環境と懲罰。米軍捕虜たちは収容所の過酷な環境に屈せず、何ヶ月も耐えてきたという。それが、突然(誰もが「突然」と強調する)節をまげて収容所長の走狗となったカーギルの動機はやはり自己保身だったのか、洗脳か、それとも?…過去の記録や他の捕虜の印象では、カーギルは知的で誠実な人物と見えたのだが。一方、将軍の息子が同じ収容所内で病死していたということもあり、圧力は次第に強まる。
やがて、カーギルが「堕ちる」直前に病死した二人について、証言の中に奇妙な一致点がある事がわかる。捕虜たちが隠している何かがあるのでは、と考えたエドワーズは証人の一人ミラー少尉(リップ・トーン)とカーギルを対面させた。興奮したミラーは陰惨な「秘密」をぶちまける。

…脱走を目論んでいた仲間の一人が殺されたのは、密告者がいたせい。捕虜たちは密告者を裁くことを決め、殺害役を決めるべく籤を引く。唯一反対したのがカーギル、籤に当ったのがミラー。そして密告者とは、将軍の息子だった…

だがその秘密には、カーギルのみ知る「続き」があった。せっかくの勝利(密告者)を失った収容所長キム大佐は逆上し、彼にに「お前が協力しなければ捕虜全員を殺す」と密かに言い渡したのだ。これ以上仲間の死を見ることに耐えられないと感じたカーギルは遂に「堕ちた」。そして絶望と孤独に苛まれつつ裁きを待ち続けているのだった。

将軍の気持を思い顔色を失うエドワーズだが、真実は真実。
衝撃からある程度立ち直ると将軍は「息子がそんな臆病者だったとは」と失望の言葉を吐くとともに「そもそもキム大佐の提案は、軍人としては蹴るべきだった。何のための軍務規律(Code)だ」とカーギルに言い放つ。「我々将官はもっと大きな規模で、責任を持って部下の命について判断を下し続けているのだ」とも。
しかしここで、カーギルは逆に将軍に強く問いかける。「人に永遠に英雄であり続けることを要求していいのか。どれほど素晴らしい人間の勇気にも限りはあるだろう。最後の一瞬の転落でその人間の全てを否定するのは正しいことなのか?私はあなたの息子さんを否定してしまいたくない」

最後に、エドワーズは調査報告書を読みあげる。曰く「利己的動機によるものではない、軍法会議は不要」。初めての理解者を得て救われた表情を見せるカーギルに、エドワーズは釘をさす。「それでもおそらく軍法会議は開かれるだろう」…だが少なくとも、カーギルの問いを、人々に投げかけることはできる。
エドワーズは、もしも軍法会議が開かれた暁には、カーギルの弁護を引き受けようと決意していた。


…うーーーーん。
50年代後半の映画でこの展開、このテーマには驚かされた。
世界の憲兵を気取っていた冷戦時代の米国において、しかも民間人がでなく、軍隊という組織の内部でこのような問いを放つというのは。

捨て鉢な表情のベースハート、一見好青年だが落ち着かないリップ・トーン、お節介だが上司思いの軍曹マーティン・バルサム、不幸なカーギル夫人ジューン・ロックハート、みな熱演だ。
あまりにも舞台劇臭い演出は面白味があるとは言えないが、テーマがテーマだけに仕方がないかもしれない。

わがご贔屓ウィドマーク様も勿論好演だが、ベースハートとは好対照に、抑えたソフトな演技を見せてくれる。ピシリとカッコよく軍服を着こなしているが、しゃべり方からして普段よりぐっと柔らかい(今回ばかりは大塚周夫さんのアテレコは合わない気がする)。調査官だから舌鋒鋭く迫る場面はあるが、エドワーズ大佐という人物は能弁や鋭さよりも、誠実さと理想主義が基本の持ち味なのだ。証言十ン人分の中から手がかりを見つける時も、自分一人でバリバリと、というのでなく秘書役エヴァンス伍長(ドロレス・マイケルズ)のヒラメキが大きな助けになる。
ドロレス・マイケルズは「ワーロック」にも出ていた筈だが、今回とても可愛いと思った。彼女とのやりとりは、ユーモラスな中にも、呼吸の通い合う男女の(でも恋愛未満の)ふわっとした味わいがあってハードなドラマの一服の清涼剤。ステキな上司とこんなステキな関係だとイイなあ(*^^*)

…結局最後はミーハーな思いで見ている自分でした(笑)

http://www.amazon.com/Time-Limit-Richard-Widmark/dp/B001U6YIB0/ref=sr_1_7?ie=UTF8&s=dvd&qid=1271515502&sr=8-7


あ、念のため。過去の日記でも触れましたが、この北米版DVDには字幕が全くありません。英語字幕すらなし。ただ、クローズドキャプション(CC)字幕だけは入っています(もちろん英語のみ)。ヒアリングに自信があればいいのですが、CCが見れる環境でない方は、辛いかもしれません。私はリージョン1に設定変えたPCのWinDVDで、CC付き視聴しました。
「午前十時の映画祭」。オールドファン向けラインナップになると言ってたのがイマイチ新しめなもが多くなっちゃった分、私の見たいものはほとんどない…なかで、比較的見たいものが集中してるのがこの4~5月。「アパートの鍵貸します」「お熱いのがお好き」(私はビリー・ワイルダーファン)、「ショウほど素敵な商売はない」と三作連続つるべうち。

しかし、どうもワイルダーを見にいこうと思うとかなり無理しないといけなさそうだ…どうしよう。一番見たかった「ショウ…」の週は代休とか入れて余裕たっぷりだからいいが、…まあ、「アパート」「お熱いの」は昔名画座で見たからいいか。あきらめるか。
劇場で見ることなどありえまいと思ってた「ショウ」さえ見れれば…。キャスト的にはやっとこドナルド・オコナーが「やや好き」程度のものなのだが、ただし音楽は、文句なく好きだ。アーヴィング・バーリン大好きだ!!!

http://asa10.eiga.com/
土曜日から、ちょっとずつ“Time Limit”を視聴している。一日10分程度しか見てない。バテきってるせいもあるし、舞台劇臭い内容なのに英語字幕しかないから、繰り返し繰り返しじっくり見てるせいもあるし、しかもちゃんとした字幕ではなくクローズド・キャプション(CC)字幕しかない北米盤を、一階の押し入れにしまっていた先代予備PCをリージョン1に設定改変して見ているからだ。要するにこのPCのWinDVDでしか、字幕付きでは見れないのだ(リージョンフリープレイヤーはCC見れない仕様である)。

…しかしやっぱり、映画はできれば15インチノートよりTV画面で見たい。
でもこのPC赤白黄色のAVケーブル端子ついてないしなー、と思っていたが、未練がましく今日良く見ると、S端子だけならついてるじゃないか。
わくわくしながらTVにつなぐ。画面のプロパティを手探りで弄ってみる…やたー!
音声はPCからだけど(しかもこのPC、ノートの割に音はしっかりしてる)、TVモニタに映せるじゃないか字幕つきでー!!!!外部モニタ出力成功!

久々に高揚しました。パソコンはこういうちっちゃなブレイクスルーをちょくちょく味わえるのがいいんだよね♪

次は音声をなんとかできないか調べてみよう。CC字幕付きでDVD-Rに焼けないかな。ワックワク♪である。うおー、なんか元気出ちゃったよ。

Time Limit

2010年4月17日 映画
Time Limit
続きは明日。

http://www.amazon.com/Time-Limit-Richard-Widmark/dp/B001U6YIB0/ref=sr_1_7?ie=UTF8&s=dvd&qid=1271515502&sr=8-7



<追記>
明日といいながら一週間後になった。別だてにしますm(__)m
試写会の券が当たったので一足早く見てきました「後編」。
早めにいけばよかったのに、開場後についたら一番後ろの方の席しか残ってなくてがっかり。フツーの試写会と食いつきが違うのね(画像は前篇のものです)。

前篇はいうなれば「千秋篇」。若手指揮者としてパリに橋頭保を築きあげるまでのお話だ。のだめに振り回されつつも既に「自分のやりたいこと」が見えている千秋の物語は、自然サクセスストーリーとして盛り上がった。が、後編で焦点が当たるのだめは、才能がありながらも幼年期のトラウマゆえ音楽に対する姿勢が定まっていないし、それが彼女の立ち位置のポイントだ。千秋との関係、オクレール先生との関係、音楽学院の友人たちなどとの関係から、彼女がいかに「音楽と真摯に向き合うこと」を獲得してゆくか。ヒロイン自身がどうしたいのか十分にわかっていないのに、それを描かねば話が進まない…素人目にも、後編の方が描き方が難しいのはわかる。

実は、大好きな原作ですら、ラストはやや駆け足だった気がしている。
いわんや映画化をや。
孫Ruiのコンサートの演出(もう一工夫できないかな)、ミルヒーの“悪魔の誘い”の演出(これはやりすぎでないかい)、回想シーンの使い過ぎ(いくら最終楽章の後編とはいえ)など、前篇に比べるとどうしても不満点は増えた。
まあ、それでも…
映画館ならではの音響効果は音楽シーンをより味わい深いものにしてくれる。

とにかく今回千秋の指揮があまり見れなかったのは残念。シュトレーゼマン(竹中直人)の指揮も悪くはなかったが、あそこまで派手にはしてないしね。
このシリーズ、私にとっては「千秋の指揮」カンタービレの要素が強かったかも。

さりげに連載が始まってる姉妹編「のだめカンタービレ・オペラ篇」も、いつかドラマになるのかな?気になる~(笑)
1950年、ジョン・フォード監督作品。モノクロ。

先日スカパーでタイマー録画したものを見ていたら、なんと家族がデッキをいじくったらしく、あと20分てところで切れていた(怒)。いい感じだったので悔しかったが、TVで見れた筈のものを買うのもシャクでしばらく置いていた…が、ワンコインDVDが中古書店で210円で並んでたのを見かけて購入。ケチな話である。

騎兵隊三部作、と言われてるらしいが、たぶん一番ホームドラマ的な要素が強い。そして歌の比重も高い。

物語は…ヨーク中佐(ジョン・ウェイン)が指揮官をつとめる砦に、新兵の一群が配属される。タイリー(ペン・ジョンソン)、サンディ(ハリー・ケリー・Jr)、そしてなんとその中には、十何年会っていなかった中佐の息子、まだ十代のジェフ(クロード・ジャーマン・Jr)がいた。やがてジェフを連れ戻そうと、やはり十何年ぶりのヨーク夫人キャスリーン(モーリン・オハラ)もやってくる。実は南北戦争時、彼女が生まれ育った農園に夫の部隊が火をつける不幸なめぐりあわせとなったことが、一家をばらばらに引き裂いたのだった…

インディアンとの激しい攻防を繰り返す前線の砦で、一度は離れた夫婦が再び心を通わせるようになるまでが、きかん気で頼もしい新兵たちと可笑しみたっぷりの古参軍曹(ヴィクター・マクラグレン)のやりとりを交えつつ描かれる。ベン・ジョンソンらの曲乗り(これは凄い!)など明るく愉快な前半、サンズ・オブ・パイオニアーズの美麗なコーラスに乗せしんみりと人情の機微を描く中盤、戦闘とアクションの終盤。どうということないといえばない話なのだけれど、騎兵隊の人々の生活をじっくりと描いて飽きさせない。特にコーラスは反則?というくらい強引にこちらの気持ちをノックアウト。ケン・カーティスの美声にはホントにうっとりです。

特に中佐夫人と同名の『I’ll take you home again、Kathleen』は主題歌扱い。夫婦がこの歌を聴きながらそれぞれに心を揺さぶられるさまなど印象的ですが、戦闘シーンでもこれの変奏がインストルメンタルでちらちら聞こえる。この他にもアイルランドの歌が多いのはフォードの趣味でしょうな。
ある意味ミュージカル的な魅力のある人情西部劇。モーリン・オハラは綺麗だし、ウェインも抑え気味の演技がGood。…大活躍するのはむしろベン・ジョンソンだったりする(笑)
楽しめました。
ジョン・フォードの騎兵隊三部作のひとつ。

スカパー録画をいい気分で見ていて、四分の三までいったところで、突然映画が切れた。
信じられないことだが、どうも私の知らないところで家族が触って録画中を強引にチャンネルをかえてしまったらしい。

むちゃくちゃ気分が悪い!!!!!
つまらない映画だったらともかく、イイ感じでしかもここからクライマックスというあたりだったのでヒジョーにムカつきます。ほんとにもう、信じられん…
デジタル音痴にもほどがある…(-"-;)
1957年、アンソニー・マン監督作品。モノクロ。
意外や海外盤DVDの画像が出ました(笑)
WowWowで視聴。日本版DVDは出てないよね。

若くて未熟な保安官ベン(アンソニー・パーキンス)は、たまたま町を訪れた賞金稼ぎモーグ(ヘンリー・フォンダ)に危地を救われた。町の人々の反対(偏見)をはねのけて、かつては胸にシェリフバッジをつけていたこともあるというモーグにベンは保安官の技術と心得について教えを乞う…

いやー、やっぱ50年代までの西部劇はいいね。
長さも90分少々というのは理想的だよね。テキパキと無駄のない筋の運びで良し。
理想化肌の若者、過去のある、実は誠実な賞金稼ぎ、薄倖の未亡人(ベッツィー・パルマー)と無邪気な子供、みんなに頼られる名医(ジョン・マッキンタイア)、無責任な町民、偏見に満ちた乱暴者たち(ネヴィル・ブランドとか)。犯罪者を無事逮捕したら今度は暴徒のリンチ騒ぎ対策、お約束通りな要素の詰まった西部劇だがスッキリまとまって、まさに「形式の美学」ですかね。辛口の現実を描きつつ、オトナが若者を導きつつ己も再生のキッカケをつかむサワヤカ系の話でもある。

フォンダもトニパキ(死語)も私の好みからは極北だけど、楽しく見れました(二度は見ないだろうと思うが…極北だから)。歴戦のガンマンらしい、むちゃくちゃゆっくりとしたわざとらしい動き方ってフォンダならではですな。凄腕のガンマンを演る時いつもこのテの身ごなしをしてる気がする。あと、フォンダでいつも不思議なのは、実は大男なのに(190cmくらいあったんじゃなかったか)あまり大男然と見えないこと。なんでかしら。パーキンスも背は高いけど…
1941年、ラオール・ウォルシュ監督作品。モノクロ。
日本版VHSは絶版でAmazonに画像もないので、せめて海外版VHSの画像を。海外じゃもちろんDVDも出てるんですけどね。私は図書館で借りました。

ちょっと昔、世紀の変わり目頃の、のんびりしたアメリカ。
お客も来ない日曜日、友人ニコラス(ジョージ・トビアス)と裏庭で蹄鉄投げをしながらも歯科医のビフ(ジェームズ・キャグニー)はイライラ。顧客がつかないのは前科があるとバレているからなのか?そこへ偶然、市会議員ヒューゴ(ジャック・カーソン)が歯痛を訴え駆け込んでくる。かつてヒューゴに酷い目にあわされたビフは、チャンスだ復讐してやる、といきまく。
ここからが回想。働きながら通信教育で歯科医の勉強をしていたビフは町一番の美女ヴァージニア(リタ・ヘイワース)に夢中。ようやくデートにこぎつけたものの、何かと調子がよく抜け目のないヒューゴにかっさらわれる。しかも…

濃厚なノスタルジック風味のもとに描かれる、ほろ苦い恋愛模様。ラブコメというには厳しい展開に驚かされるが(元は舞台劇らしい)、最後にはほっと出来ますのでご心配なく。
キャグニー独特の庶民的で生き生きとした個性は、昔風のおおらかな人間関係にぴったり。変人で女好きで喧嘩っ早い父(アラン・ヘイル)や気のいい友人とのやりとりは大仰だがほのぼのとしたユーモアに満ちている。ウォルシュだからロマンスより酒場の殴り合いのほうがお得意なのか?

前半がちょっとダレて感じたのは、演出がどうこうでなく私があまりリタ・ヘイワースのルックスに魅力を感じないからかもしれない(少数派なのだろうが)。ダブル・ヒロインの“新しい女”を気取るヴァージニアの親友エイミー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)はビフに気があるそぶりを見せるが、彼にまるで相手にされないところはかわいそう。ちょっとギクシャクしてるが(“新しい女”にも多少ハッタリが入っていたと後でわかる)、それでもデ・ハヴィランドのほうが可愛いと思うなあ私。あの妙なウィンクは忘れられない(笑)
それに、血の気が多くてしょっちゅう殴り合いをしてるのに、今回珍しく負けが多い目にアザつくりまくりのキャグニー。どうしたんだいったい。

ビフが振られてからは、文句なく引き込まれる。運命の荒波に振り回されるビフとエイミーの姿は、ほろ苦い笑いをちりばめつつ、しっとり、じっくり描かれる。
ついに現在にまで到達し、ラストシーンに至る頃には、一世紀以上昔の、けれども根っこでは変わることのない人情の機微、愛情の機微にほろ酔い気分になっていること必定。後半だけなら★4つは行くのだが。
ノスタルジー趣味が嫌いな人には薦めないけれど、…キャグニーって、昔風のキャラクターがほんとに似合うなあ。うんうん。

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