塩野七生著。
久々に戻ってきましたローマ人の物語(笑)

読み残していた「ハンニバル戦記」に戻りました。ハンニバルはなかなか出て来ませんが戦闘また戦闘で十分面白い。それにしても、ポエニ戦役って、強大なローマ対カルタゴ、じゃなんて、強大なカルタゴ対ローマだったんですね。勘違いしてました。しかも、常識に挑戦する、というか、海戦に素人なら素人考えで、なりふり構わず素人に便利な新工夫を導入しちゃったりする柔軟で大胆な古代ローマ人はカッコいいです。
今日のイタリアのイメージとちょっと違うね(^^;)。

コメント

nophoto
たけだ
2011年8月25日0:29

ボースン様

おっしゃる通り、既成勢力カルタゴ対新興勢力ローマの戦いだった訳で、結果はローマが地中海の制海権をほぼ手中にし、その後多いに勢力拡大するわけですね。

数年前にチュニジアに出張した時にカルタゴの遺跡を観ましたが、ローマ時代のものでポエニ戦役当時をしのぶ事のできる遺跡が全くないのが残念でした。

ボースン
2011年8月25日7:58

たけだ様

カルタゴの遺跡ですか!
本当に、世界を色々見ていらっしゃいますね(*^^*)
でもローマとのポエニ戦役をしのんだりする時代のものではないということは、いつの時代の遺跡をごらんになったのでしょう?

ポエニ戦役当時のローマとカルタゴのこの頃の国力差については、誤解している人はけっこういそうな気がします。古代ローマ=強大、という先入観ですね。でもどんな巨人にも赤ん坊時代や子ども時代はあったわけで。
チャレンジャーはハンニバルじゃなくてスキピオ@ローマだったんだ~

nophoto
たけだ
2011年8月25日15:23

ボースン様

現在のカルタゴの遺跡は、ローマが占領していた時期の建造物です。

おそらくローマ軍がカルタゴの市街を徹底的に破壊した後に建てられた物でしょう。

ボースン
2011年8月26日0:40

なるほどローマに負けたあと、のものなんですね。ありがとうございます。

nophoto
陰険な幻視者だぶるえんだー
2011年8月27日20:52

「パピルスが伝えた文明」
という本が嫌なことを言っていました。小アジアのローマ植民市の遺跡を見ると、再利用品の大理石でつくられていたのがわかるそうです。ローマ人は征服した国々の神殿などを壊して運び出し、再利用していたようで・・・・・良質の石材はそれだけ貴重だったということでしょうか。

カルタゴが滅ぼされたときも、あれこれ再利用されたかもしれません。ローマ時代の遺跡の中にはカルタゴ起源の石が眠っているのでは。

ボースン
2011年8月27日23:08

なるほどねー、古代エジプトのアレコレも大英博物館にありますしね(ちょっと違うか)。
今日やっとハンニバル戦記の中巻に入ったところなので、カルタゴに勝ったローマがどのくらいカルタゴを破壊しつくしたのかは…まだこれからです(^^;)

nophoto
たけだ
2011年8月28日0:12

みなさま

『ダヴィンチ・コード』にも出てきましたが、パリの5区辺りでは、あちこちでローマ時代の壁や基礎を利用している建造物が有ります。

石切り場から切り出して石柱などに加工するには時間と手間(つまり費用)がかかります。ローマ人というのは実利的な人たちだったと思いますし、土木工事の才能が豊かでしたから再利用できるものは躊躇いなく使ったのだと思います。

ボースン
2011年8月29日14:00

なるほどヨーロッパの石造建築の世界には、身近な日常にもそのような歴史がひそんでいるのですね。
木造建築主体の日本とは、感覚がずいぶん違ってくることと思います。

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