1962年、アンリ・ヴェルヌイユ監督作品。モノクロ。
大酒を飲むたび、中国での思い出を熱く語りまくるアルベール(ジャン・ギャバン)。だが、大空襲の中で、「夫婦生き延びてホテルを再建できたら酒を断つ」と誓いをたて、以来15年余りそれを守り通していた。
「酒を断ってから気難しくなった」と評される彼のホテルに、ある日ガブリエル(ジャン=ポール・ベルモンド)という青年が宿泊する。たびたび大酒を飲んでは騒ぎを起こす、だが憎めない彼を、アルベールは「何か忘れたいことがあって飲むのさ」と、静かな目で見守る。やがてある晩、ガブリエルの“爆発”に付き合ってアルベールも久々に鯨飲し、浜で花火を山ほど打ち上げたり大騒ぎをする。
その翌朝が、二人の別れであり、再出発でもあった…
このように書くとストーリーらしいストーリーもないし、主人公たちが何に悩み何にこだわっているのかの説明も、あえて説明不足に断片だけで放り出している。いかにもおフランス…というか欧州芸術映画って感じの心象風景だらけの映画なのだが、ユーモアも結構盛り込まれているし、なにしろギャバンとベルモンドですから、キャラクターの魅力だけでズルズルと見せられてしまう。ベルモンドは勿論だが(元々大好きだ!)、今回ギャバンの可愛らしさにはちょっとビックリした(ギャバンはそんなに興味がなかった)。白髪頭の太ったオッサンだが、ベルモンドとハジけるところなんか少年のようだ。
ベルモンドは元闘牛士か、昔闘牛士になりたがっていたのか、という描写があって、酒場でフラメンコをちょっと踊ったのでこれも驚き。でも、ほとんどは上半身だけか下半身だけ、全身をうつしてたのは最初の数小節だけだから吹き替えかなー(笑)
夫が大酒を飲んで中国にトリップするのを心配(それとも嫉妬?)する妻(シュザンヌ・フロン)の描写は、個人的にはイマイチわからない。“体壊さない程度なら飲ませりゃいいじゃん”と思ったり。ただ、その妻の態度を責めてる描写なわけでもない。十何年ぶりに泥酔した夫はすました顔で、最後にはまたアメを口に放り込んでいる。
私は酒・タバコとも飲まない家庭で育ったので、泥酔することの意義は実はピンとこないし泥酔したこともないが、迷走中の青年が色々な思いに決着をつけてきちんと人生を再開するのには、あの大騒ぎが必要だったのだろうし、何と言うか、主人公たちのソレは大変魅力的な泥酔である。また、ラストの二人はそれぞれに何かを失った(諦めた)ように見えて、同時に、より確かな足取りで前に進んでゆくようにも見える。
寂しいような明るいような、不思議な味わいの映画だった。
でもまあ、強引に閉じ込められ見せられなかったらなかなか見ない映画だな、私には。
ベルモンド好きなので、そのうち見よう見ようと思いつつ、後回しにしてた作品(笑)
色々ホメてるのに★3て…。えーと、何というか、気持ちよく見れたが特にあれこれ語る気にもならず、というところなので。
実は出張で三時間以上乗るハメになった列車の中で、PCにイヤホン差して見ていたのだった…
(一回そういうのも試してみようと思って)
その前にも半時間ほどPCで仕事もしていたせいか、映画が終わるか終わらないかの凄いタイミングでバッテリが切れてしまいました(笑)
やっぱ映画バッテリで見るのは一本が限度か。やってみないとわかりませんな。
やはり映画は家(or映画館)で見よう。トンネル入るとうるさいし。
えーと出張は一泊で、ホテルで書いてます。駅近とインターネット可能、というのだけで選んだビジネスホテル。明日もあるのでさっさと寝よう…
大酒を飲むたび、中国での思い出を熱く語りまくるアルベール(ジャン・ギャバン)。だが、大空襲の中で、「夫婦生き延びてホテルを再建できたら酒を断つ」と誓いをたて、以来15年余りそれを守り通していた。
「酒を断ってから気難しくなった」と評される彼のホテルに、ある日ガブリエル(ジャン=ポール・ベルモンド)という青年が宿泊する。たびたび大酒を飲んでは騒ぎを起こす、だが憎めない彼を、アルベールは「何か忘れたいことがあって飲むのさ」と、静かな目で見守る。やがてある晩、ガブリエルの“爆発”に付き合ってアルベールも久々に鯨飲し、浜で花火を山ほど打ち上げたり大騒ぎをする。
その翌朝が、二人の別れであり、再出発でもあった…
このように書くとストーリーらしいストーリーもないし、主人公たちが何に悩み何にこだわっているのかの説明も、あえて説明不足に断片だけで放り出している。いかにもおフランス…というか欧州芸術映画って感じの心象風景だらけの映画なのだが、ユーモアも結構盛り込まれているし、なにしろギャバンとベルモンドですから、キャラクターの魅力だけでズルズルと見せられてしまう。ベルモンドは勿論だが(元々大好きだ!)、今回ギャバンの可愛らしさにはちょっとビックリした(ギャバンはそんなに興味がなかった)。白髪頭の太ったオッサンだが、ベルモンドとハジけるところなんか少年のようだ。
ベルモンドは元闘牛士か、昔闘牛士になりたがっていたのか、という描写があって、酒場でフラメンコをちょっと踊ったのでこれも驚き。でも、ほとんどは上半身だけか下半身だけ、全身をうつしてたのは最初の数小節だけだから吹き替えかなー(笑)
夫が大酒を飲んで中国にトリップするのを心配(それとも嫉妬?)する妻(シュザンヌ・フロン)の描写は、個人的にはイマイチわからない。“体壊さない程度なら飲ませりゃいいじゃん”と思ったり。ただ、その妻の態度を責めてる描写なわけでもない。十何年ぶりに泥酔した夫はすました顔で、最後にはまたアメを口に放り込んでいる。
私は酒・タバコとも飲まない家庭で育ったので、泥酔することの意義は実はピンとこないし泥酔したこともないが、迷走中の青年が色々な思いに決着をつけてきちんと人生を再開するのには、あの大騒ぎが必要だったのだろうし、何と言うか、主人公たちのソレは大変魅力的な泥酔である。また、ラストの二人はそれぞれに何かを失った(諦めた)ように見えて、同時に、より確かな足取りで前に進んでゆくようにも見える。
寂しいような明るいような、不思議な味わいの映画だった。
でもまあ、強引に閉じ込められ見せられなかったらなかなか見ない映画だな、私には。
ベルモンド好きなので、そのうち見よう見ようと思いつつ、後回しにしてた作品(笑)
色々ホメてるのに★3て…。えーと、何というか、気持ちよく見れたが特にあれこれ語る気にもならず、というところなので。
実は出張で三時間以上乗るハメになった列車の中で、PCにイヤホン差して見ていたのだった…
(一回そういうのも試してみようと思って)
その前にも半時間ほどPCで仕事もしていたせいか、映画が終わるか終わらないかの凄いタイミングでバッテリが切れてしまいました(笑)
やっぱ映画バッテリで見るのは一本が限度か。やってみないとわかりませんな。
やはり映画は家(or映画館)で見よう。トンネル入るとうるさいし。
えーと出張は一泊で、ホテルで書いてます。駅近とインターネット可能、というのだけで選んだビジネスホテル。明日もあるのでさっさと寝よう…
コメント
「冬の猿」、大好きな作品です。本当に、ひと言で言うと「ふたりの男が酔っ払うだけの物語」なんですが、私も酒は全くダメな口なのですが、なぜか心地よい映画です。
長年日本未公開だったヴェルヌイユの秀作ですね。
私は、以前からそのタイトル『冬の猿』(フランス語原題も同じ)に惹かれて、みたいと思っていましたがようやく数年前にフランスでテレビ放映観ました。
原題は、猿が単数なのですが、なぜ複数でないのかがよくわかりません。
ベルモンドのフラメンコはご指摘通り、脚は吹き替えです。
ヴェルヌイユ+ギャバン+フランソワーズ・アルヌールのペシミスティックな『ヘッドライト』(原題直訳:重要でない人々)もなかなかです。
ギャバンは初老の妻子持ちのトラック運転手。
アルヌールは、道路沿いのカフェの女給。二人は道ならぬ恋に落ちて・・・・・。
というベタな展開ですが、モノクロの映像とジョセフ・コスマの音楽がいかにもという雰囲気を醸し出します。
>当に、ひと言で言うと「ふたりの男が酔っ払うだけの物語」なんですが、
いやもうひたすらソレだけでしたね。ソレだけで、こんな映画に仕上がるのはたいしたものだと思います。
ギャバンとベルモンドに酔わされました。
>原題は、猿が単数なのですが、なぜ複数でないのかがよくわかりません。
最後、ギャバンから中国の冬の迷い猿の話をきいた少女が、「本当に冬の猿に会ったのかしら?」と後でベルモンドに尋ね、ベルモンドが「少なくとも一匹にはね」と答える場面があります(字幕によると)。これを受けて単数なのでしょう。もちろんこの一匹はベルモンドをさすわけでしょうが…
ギャバンは「望郷」とか「地下室のメロディー」とか、それなりには昔TVで見てましたが、こういう渋い中にもさらっとユーモアもにじませた役は初めてでしたので、そのへん見直しました。といっても多分追いかけては見ないでしょうが(苦笑)
ギャバンのコメディ演技もなかなかのものですが作品数が少ないのが残念。
『フレンチ・カンカン』のギャバンも良いですよ。
ベルモンド、ギャバン、ヴァンチュラは、全員コメディでもいい味出していますね。
ドロンは、アメリカ映画『テキサス』でコメディに挑戦しましたが成功とは言い難かった。
『フレンチ・カンカン』もコミカルな味を出してるんですね。それは重畳。
ちょっと覚えときます。