キートンの歌劇王
キートンの歌劇王
1932年、エドワード・セジウィック監督作品。モノクロ。
引き続き、キートンinトーキー、図書館レンタルのVHS視聴。
今日は超忙しいから(午前と午後にそれぞれ別イベント)、そのつもりではなかったのだけど…朝、トースト食べる間だけ、とデッキに放り込んだら我慢できずに最後まで見てしまいました。出かける前に少し寝なおして体力蓄えるつもりだったのに。
ありゃりゃりゃ、普通に楽しかったよ!!

ポスト教授(バスター・キートン)は、学問一筋だったからか?孤独で世間知らずで貯金もわずか。が、ある日75万ドルの遺産が転がり込むと聞き、舞い上がって旅に出る。駅で知り合ったジミー・デュランテら貧乏劇団の面々と親しくなり(特に花形のルース・セルウィンの踊りにウットリして)、なりゆきで教授は出資者に。劇団のレベルも考えず(笑)、いきなりブロードウェイに打って出るが、実はこの遺産話はデタラメで…舞台袖を借金取りが徘徊する、背水の陣のレビュウ初演の結果は果たして?

ガセ遺産話は、「たまには休暇とって旅に出るとかしないと、一人で引きこもってちゃダメですよ」と常々教授に勧めていたお節介な秘書の嘘だった。いくらなんでもソレはないでしょー、と思うが、その一点を除けば問題なくスムーズに楽しく見れた。昨日の「エキストラ」と二年ほどしか違わないのに、トーキーになりたての頃の映画にしばしば感じるギクシャク感がグンと減ってたのもある(偶々こっちのVHSの方が画質が良かったからかもしれないが)。

キートンは小柄だが顔には結構威厳があるし(紐付きの鼻眼鏡がお似合いだ)、サイレント喜劇出身でも、セリフ回しも堂々としている。小難しい表現を連発して周囲を戸惑わせる、でも世間知らずで無垢な教授役は案外良い感じ。というか、いつもより堂々としていますなキャラクターが(笑)さすがに教授だから…
クライマックスは、初演の舞台に教授がウッカリ転げ出て舞台をめちゃくちゃにし、しかしそれが観客の爆笑を誘いまくって大受けする、というお約束な展開だが、舞台装置を色々使って、ダイナミックな笑いがたっぷり盛り込まれていた。いやー、思い出しても結構吹きます。

ジミー・デュランテは、別に嫌いではないが、…こういうベラベラ喋るタイプのコメディアンはもっと英語力がないと真価が分からないのかも。終盤、舞台上でのドタバタ大会になるとやっぱりキートンの体技が目立つし。しかし、デュランテが「雨に唄えば」を歌いだした時にはビックリした。あっ、そういえばこの歌のシーン「ザッツ・エンタティンメント」にあったゾ!
当時MGMはデュランテの方をガシガシ売り出そうとしていたらしいが、「ザッツ…」にはキートン、MGM大晩餐会にチラっと映っただけだった。70年代になってもその扱いだったのね…(泣)

とはいえここでは、憧れの彼女ともうまくいって(途中、遺産目当てのお色気女に狙われる一幕もあるが)、万全のハッピーエンド!
キートンは、やはりこう来なくっちゃね。

ネット上にフル動画もありました(字幕はないけど)。原題が"Speak Easily"

http://www.archive.org/details/speak_easily

コメント

nophoto
ボースン様
2010年9月13日10:56

ボースン様

ご紹介のサイトで冒頭を少し観ました。
キートン、結構良い声ですね。
身軽さを生かしたアクションギャグもちゃんとありますね。

監督のセジウィックという人は才能があった人なのかなあ?
サイレント期の作品ではキートン監督作品の方が圧倒的に面白かったのにトーキーになって監督をしなくなったのはなぜなんでしょうね(ダーディスの本はまだ読み切っていません)?

ボースン
2010年9月13日23:13

>ご紹介のサイトで冒頭を少し観ました。

約80分のうち、最後の15分間は特にオススメです。
舞台監督や他の役者たちの制止にめげず、なぜか事あるごとに舞台上に戻ってしまうキートン教授。アクション満載、みごとな暴れっぷりでした(*^^*)

>サイレント期の作品ではキートン監督作品の方が圧倒的に面白かったのにトーキーになって監督をしなくなったのはなぜなんでしょうね(ダーディスの本はまだ読み切っていません)?

サイレント時代には、キートンは自分の撮影所で映画作っていたのが、1928年にはそれを手放し、MGMの撮影所でトーキー映画を作ることになりました。そうなると従来のように「自分のチーム」で映画を作るのではなくその時々にMGMが揃えてくるスタッフを使うことになったということです。

撮影中にキートンがアイデアを出すことがなくなったわけではないでしょうが、監督は「させてもらえなかった」というべきでしょう。MGMはキートンを監督としてではなく喜劇役者/スターとして契約したようですし。素材にしろ脚本にしろ、映画作りの中でのキートンの自由度はどんどん奪われていったようですから…。

自伝と拾い読み程度のダーディスから答えを拾うとこんな感じですけど…

えーと、ダーディスの話が出ているくらいですから…たけだ様…?

nophoto
たけだ
2010年9月14日8:44

ボースン様

えーーっ。

なんでボースン様になっているの??

何故か間違えたようです。
平にご容赦を。

「監督をさせてもらえなかった」は、納得いきますね。

MGMの食事会でのキートンって、どこかつまらなそうな顔していますし。

ボースン
2010年9月14日23:05

どういたしまして。

MGMでは、危険なスタントは自分でやるな(代役をたてろ)とか言われたらしいですね。サイレント時代はかなり過激なこともやってたんでしょうか。現場でどんどんシナリオとか変えようとしたら上から文句を言われたり(予算の予定が立たないから)。
大企業の論理だとそれが自然なのかもですが、…つまんないでしょうね(^^;)

nophoto
たけだ
2010年9月15日9:42

ボースン様

>サイレント時代はかなり過激なこともやってたんでしょうか。

基本的にキートンのアクションは特撮なしですからサイレント期は過激さのオンパレードですが、なかでも『蒸気船』などとても過激ですよ(建物の壁一面がキートンに倒れて来て、窓の開口部がちょうどキートンの位置だったので無事だったというシーンなど一歩間違えれば死んじゃうと思います)。

ボースン
2010年9月15日22:27

なんか、一歩間違えば死にそうな芸を幼時からヴォードヴィルでやってたみたいですしね。
慣れ?というのは凄いです。

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