1927年、バスター・キートン、クライド・ブラックマン監督作品。
モノクロ&サイレント。

画像は「久石譲 meets “THE GENERAL” キートンの大列車追跡<80周年記念リマスター・ヴァージョン>」ですが、そんないいモノではなく、図書館で借りた酷い画質のVHSで視聴(笑)

南北戦争の勃発したアメリカ南部。南部の機関士ジョニー・グレイ(バスター・キートン)の愛するものは二つ。機関車「将軍号」と恋人アナベル・リー(マリアン・マック)だが、「将軍号」がある日北軍のスパイに盗まれる。しかもアナベルが乗ったまま…

思ってたよりもテンポはゆったり。「探偵学入門」のスピーディさに比べると、アレっと思った。だが、橋梁爆破など結構スペクタクルだし、機関車大追跡ネタの全てがほぼ出そろっている感あり。いやー、今見ても立派なもんだなあってカンジである。手頃に短いし、やはりたまに見ると吉だなキートンって。

機関車大追跡、奪い返して大逃走、そして一度は志願をハネられた貧弱な小男のキートンが前線でも大活躍?と、最後まで気持ちよく見れました。最後にキートンに「軍服(借り着)を脱げ!」とどなる将軍も、えらい気の利いた御仁でニヤリ。

先日読んだバスター・キートン自伝があまりに面白かったので、未見のキートンをどんどん見ていこうという気になった。あえてトーキー後のものをまず見たいなと思ったのだが、とりあえず先に手に入ったのは「代表作のひとつ」とまで言われるコレで、でも面白かった(当然か?)からいいや。

コメント

nophoto
たけだ
2010年9月7日11:32

ボースン様

自伝でキートンは、トーキー化のことについて何か語っていますか?

キートンがトーキー以降生き残れなかったのは、アルコール依存症が最も大きな原因ではないかと最近私は考えているのですが・・・・。

ボースン
2010年9月7日13:44

>自伝でキートンは、トーキー化のことについて何か語っていますか?

キートン自伝では「しかし私はトーキーにはつぶされなかった。むしろ正反対である」と書いていますね。この頃はMGM専属になっていたようですが、MGMがヒットさせたトーキー映画「ホリウッド・レビュウ(1929)」(これはオールスター映画ですが)に出演したり、自分の最初のトーキー映画「キートンのエキストラ(1930)」はその年のMGM映画の中でも最高の収益をあげたうちの一本だった、としています。
ヴォードヴィルに出ていた頃はドタバタのほか、歌ったり詩を暗唱したりもしたそうですから、しゃべることに不安は特になかったのでしょう。

自伝によりますと、キートンが急降下していった要因はふたつです。まず、1928年に周囲の勧めで自分の撮影所を手放しMGMで映画製作を行うことにしたのですが、MGMは「自分用の撮影チームを持ちたい」というキートンの希望を入れず、以前のように映画製作のコントロールが思うようにならなくて不満な彼とMGMの関係は次第に険悪になります。そして、同じようにいつのまにか険悪化していた家庭事情があり、1932年にキートン夫人は離婚の申し立てとともに財産から屋敷から船から息子の養育権から、いっさいがっさい夫から巻き上げてしまい、ショックのキートンは深酒で仕事に穴をあけたりでMGMをアッサリとクビになり、アルコール依存症が落ち着いてからも、どこの製作会社からも長編を作らせてもらえなくなります(日銭稼ぎに短編を作ったり外国で小品を撮ったりはできたようですが)。

トーキー化の波がなくても、コレは沈むかもなぁ…と思えますが、実際に私が見ているキートン作品はわずかだったので、「エキストラ」や、トーキー後ではマシな方と本人が書いている「歌劇王」をまず自分の目で見てみたいと思いました。
某所でのキートン論議は読んでいましたが、あちらにはもっとずっとキートンに詳しい方や論客が揃っていますし、半端な口のはさみかたはできませんからね(笑)

ちなみに40年代に入ると、キートンは再婚もし、あらためてMGMにギャグマンとして採用され、時々「印象的な端役」が必要な時にはピンポイント俳優業…と、それなりに生き延び、50年代にはTVショウ出演も多くそこそこ元気にやってたようです。

当人なればこその錯覚や思い違いや誇張もありうるでしょうが、さばさばした語り口がとても面白い読み物になっていました。子どもの頃=ヴォードヴィル時代も、従軍した時のエピソードも、映画製作の裏側も。

nophoto
たけだ
2010年9月7日18:58

ボースン様

うーん、トーキーにはつぶされなかったけれど別の物につぶされた?

それに、ヒットした作品が必ずしも優れた作品とも言えないですしねえ。

MGMに移籍した件は、なんとなくしてやられた感じがしますね。


ボースン
2010年9月7日19:30

たけだ様

>それに、ヒットした作品が必ずしも優れた作品とも言えないですしねえ。

そうそう。なので30年代のキートン作品をいくつか予約しています。図書館で(笑)

ただ、人生に「もしも」はないので、MGMとも夫人ともうまくいっていたとしたら…などと考えてもしかたありませんが、「トーキー(だけ)につぶされた」と簡単に言うのはキートンに気の毒な気はします。

nophoto
たけだ
2010年9月7日20:16

ボースン様

トーキーにつぶされた、トーキーを克服できなかった・・・キートン、という神話を見直す必要があるでしょうね。
『セブンチャンス』『蒸気船』『探偵学入門』など完成度の高い作品が残されていますから、まあ良しとしますか。

某所でも議論になっていますが、私もトーキー化は、変化であって進化/進歩ではないという考えです。
顔料の質が良くなった(進歩した)からといって、マチスの方がラファエロより優れているとは一概に言えないだろう、と某映画評論家も言っています。

ボースン
2010年9月7日22:57

>某所でも議論になっていますが、私もトーキー化は、変化であって進化/進歩ではないという考えです。

技術の進歩には違いありませんが、「映画の進歩」と言いきってそれ以前を低く見るのはちょっと違うでしょうね。技術的な限界も、時代の要請も(ヘイズコードにしろ歴史的背景にしろ)、どうしても作品に規制、というか枠を与えると思いますが、その枠内で(時には枠自体を逆利用しつつ)最大限の工夫と優れた感性でもって仕上げられた作品は、後の時代の人間にも十分に娯楽と感銘を与えることができると思います。

まあ、新旧どんな傑作でも、100%全員に支持されるってことはないでしょうけど(好みはそれぞれ…)。新技術が多いほど高評価をつけがちな人もいるでしょうし、時代的なニュアンスをもはや理解できないなんて場合もあるかもしれない。

私もサイレント映画の傑作をあれこれ踏破して…というほどの根性や向学心?はないですが、とりあえずキートンは結構好きですね。コビのないさっぱり感がいいです。

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