1977年、ジェームズ・ゴールドストーン監督作品。

全米各地の遊園地に爆弾をしかけ、経営陣から大金を強請り取ろうとする青年と、捜査陣の対決。70年代によく作られたパニック映画と見せて?実は駆け引き重視の小味なサスペンス映画。確か大昔に一回見てるんだけど、細部は忘れていたので気持ちよくドキドキ見れました(笑)

主人公は"企画安全省"の冴えない役人ハリー(ジョージ・シーガル)。以前に自分が検査した遊園地での事故を探るうち、複数の遊園地を強請ろうとする犯人の存在に気づき、狙われた経営者らに「FBI通報した方がいい」と忠告しにゆく(犯人はそれを盗聴している)。FBIの捜査官ホイト(リチャード・ウィドマーク)は「ご苦労さん、帰っていい」とハリーを放り出すが、犯人は金の受け渡し役にハリーを名指ししてきて…

一見優男だがエキセントリックな犯人ティモシー・ボトムズがすばらしい。存在感を押し殺したスマートな物腰、端正な顔には薄笑い。そのへんの材料で爆弾を手作りする器用さと捜査陣を翻弄する狡知を兼ね備えた彼だが、最終的には己のプライドの高さに足をすくわれたというところか。名前すらない、背景が全く分からないのだが、遊園地内を徘徊する姿や、最初に「犯人は頭が良いから…」と口にしたハリーに妙にこだわりをみせるあたりから、その人物像はある程度観客に伝わってくる。描きすぎていないところがまた、遊園地にこだわるのは何かあるのかしら、とか、逆にこちらの想像力をそそる。

第一ラウンドでは犯人に完全にしてやられる捜査陣。ハリーを「コマ」としてしか扱わない、高圧的なホイトにも一因があると思うが、第二ラウンドではハリーの力を次第に認めるようになったホイトが見事な連携を決める。禁煙に悩んだり別居中の娘に会いに行ったりと忙しい小市民なシーガル、常に偉そうな、しかしハードワーカーぶりとシーガルに対する立ち位置の変化をきっちり見せてくれるウィドマーク、みな手堅く物語を引き締めてくれる。刑事役でハリー・ガーディノ、カメオ出演でヘンリー・フォンダなども登場するので、ちょっと「刑事マディガン」を思い出す。…まあ今回は、ご贔屓ウィドマーク様は完全に脇役ですけどね。時々レンズの厚そうな眼鏡をかけてるのが可愛い(笑)

『刑事コロンボ』のリチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクの脚本ということで、キャストがそれなりの割にTVムービーぽい感じもするが、同時に会話のくすぐりや小ネタなど「いい出来のTVムービー」感があり結構面白く観れる。まあ、捜査陣もちょっとツメが甘いとこがあるんだけどね(キタ!と思うと全員で同じ方行っちゃったりとか、「犯人はまだ気づいていない筈」と判断したら「でももし気付いていたら…」のシミュレーションを怠っちゃったり)。

大作を期待せずに見ると吉(笑)

コメント

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たけだ
2010年9月5日15:01

ボースン様

ずいぶん新しい映画なのでどうしたのかと思ったらウィドマークの出演映画でした。

存在をすっかり忘れていた作品ですが一時流行った「センサラウンド」の一本ですね。

この監督の作品は、ポール・ニューマンの『レーサー』くらいしか観ていませんが主な活動はテレビドラマの人ですね。

ボースン
2010年9月5日18:20

たけだ様

えへへ、この年度のものも「新しい」と言っていただくと、ある意味心強いです(笑)
やっぱり70年代以降のものは、結局好きなスターが出てるから、とかそういうのが多くなってきますね。昔は、「いい」と聞いたらなんでも見なくちゃと思った頃もありましたしが、いまやもうトシだしヒマでもないし、見たいものだけ見るんだー、と開き直り中です。

センサラウンド映画らしいんですが、DVDで見るともはやTVMですね。とはいえ、身を乗り出して見ていましたが。どちらかというと技術的なことや映像より、物語の面白さに引っ張られるたちなものでして…

nophoto
なにわすずめ
2010年9月5日19:07

こんばんわ。爆弾ネタで思いだいましたが、「ジャガー・ノート」もすごく面白かったです。これも、オマー・シャリフが出てなかったら、まず、見ることはなかったでしょう(爆)。考えてみれば、70年代って、もう40年前ですから、「古い」のがフツーなんでしょうが、なんだか、映画って、60年代以降はみんな「新しい」感じがするのはなぜ???TVが原因?

ボースン
2010年9月5日19:18

>なんだか、映画って、60年代以降はみんな「新しい」感じがするのはなぜ???TVが原因?

私は、60年代末から「新しく」なり始めて、70年代以降は「新しい」かなって気がします。やっぱり「ニュー」シネマ、という峠を越えちゃったからではないでしょうか(爆)

nophoto
たけだ
2010年9月5日19:19

おー!
『ジャガーノート』観ていますか!?
私はこの映画を1975年の12月末に東京で観てやっとリチャード・レスターを一人前の監督と認識しました。
お前もやればできるぢやないか!

男優が良いのですが、中でも、私はデビッド・ヘミングスのそれまでの嫌みな二枚目とはちょっと異なった演技が印象深いです(この辺りから人気が下降しましたが・・・)。

『交渉人 真下正義』にもこの作品への目配せがありましたね。

ボースン
2010年9月5日20:11

>なにわすずめ様

すいません、ジャガーノート未見です。たけだ様よろしく~

>たけだ様
>お前もやればできるぢやないか!

ぶっ。吹いてしまいました。そんなに見てない監督ですが「ローヤル・フラッシュ」は面白かったですねえ。剣戟映画ですし。日本盤DVDが出れば買うのに…(海外盤まではちょっと…字幕なさそうだし)

nophoto
たけだ
2010年9月5日21:17

リチャード・レスターはビートルズ映画で有名になりましたがビートルズ映画でも彼の喜劇指向というかキートン的なギャグへのオマージュがちりばめられていました。
でも私は『ナック』やこの『ジャガーノート』の方が好きなんですね。
『ローヤル・フラッシュ』は、観ておりません(『三銃士』『四銃士』は観ています)。
allcinemaのコメントによるとこの映画は、お蔵入りになっていたのを配給会社の有志がなんとか公開に漕ぎ着けたらしいですね。

このレスターもそうですが60年代はテレビ界出身の監督が多いですね。
アメリカで言えば、シドニー・ルメット、ジョン・フランケンハイマー、アーサー・ペン、フランク・ペリーなど。マイク・ニコルズは演劇界出身。

原因は、映画人気の復興の為の暗中模索の一手段として最大のライバルであるテレビ界から人を導入すれば映画に有利に働くだろうというハリウッドの計算が有ったとおもいます。検閲の事実上の撤廃などと重なってそれまでのハリウッドでは描けなかったテーマや表現法が「新し」く感じたのですが古典映画の均整がとれ、短時間に効果的に物語るというスタイルは消滅していきます。

ハリウッドが、60年代に成熟した作品を送り出すであろうと予想されていたアンソニー・マン、ニコラス・レイ、ジョセフ・ロージー、サミュエル・フラーなどを大作主義で殺したり、ヨーロッパに追いやったりした結果、ハリウッド育ちの監督の空洞化がおこったことも大きな要因だったと思います。

60年代〜70年代は、ジャンル映画の衰退期ですね。
古典美は、消滅していったけれどその代わりとなる「美」というか形式はまだ生まれておらず、なんだか雑然というか雑駁な雰囲気の作品が多かったように記憶しています。
日本の場合は、『暗黒街の弾痕』『拳銃魔』『夜の人々』を観ていない連中が『俺たちに明日はない』を褒めちぎっていた時代です。


ボースン
2010年9月5日23:47

>リチャード・レスターはビートルズ映画で有名になりましたがビートルズ映画でも彼の喜劇指向というかキートン的なギャグへのオマージュがちりばめられていました。

『ローヤル・フラッシュ』は名画座でやっとこ見ましたが、剣戟映画であると同時に「ゼンダ城の虜」をパロディ化したようなドタバタ喜劇でした(ただし、原作小説シリーズがあるので厳密には「ゼンダ…」の直接のパロディではないのですが)。逆に、ビートルズ映画など60年代のものは見てないのです(^^;)
そして『ジャガーノート』も。これは、ストレートなサスペンス映画だったのでしょうか。

>60年代〜70年代は、ジャンル映画の衰退期ですね。
>古典美は、消滅していったけれどその代わりとなる「美」というか形式はまだ生まれておらず

人材的にも、形式的な部分にも、断絶があるとすれば…“新しさ”にノれない人間がいても仕方がないですよねー、と自己弁護(笑)
その後、新たなる「美」は無事生まれることができたのでしょうか…

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なにわすずめ
2010年9月5日23:55

たけださま、

>60年代〜70年代は、ジャンル映画の衰退期ですね。
古典美は、消滅していったけれどその代わりとなる「美」というか形式はまだ生まれておらず、なんだか雑然というか雑駁な雰囲気の作品が多かったように記憶しています。

なるほど!わかりやすい分析ありがとうございます。
私たちが気に入ってるのは「古典美」なんですね。
今も、「混沌」は続いているのでしょうか。それとも、今は「懐古」の時代なのかも・・・・。
>デビッド・ヘミングスのそれまでの嫌みな二枚目とはちょっと異なった演技が印象深いです(この辺りから人気が下降しましたが・・・)。

助手のチャーリーを演じた人ですよね。元来嫌味な二枚目のイメージだったんですか?ちょっと、意外ですね。この映画ではいい役でした。ファロンはカッコよかったですね!オマー・シャリフ、どうして彼がこの役なんかよくわかんなかったですが、「眼」でものをいう彼には案外ぴったりの役だったのかな???


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たけだ
2010年9月6日9:17

ボースン様
なにわすずめ様

『ジャガーノート』は、レスター的なくすぐりのないストレートなサスペンス映画です(ディザスター映画ではありません)。
ジャガーノート(Juggernaut)の意味を知っておくとこの映画のテーマが解りやすくなりますね。

デビッド・ヘミングスの当時の役柄の代表例はアントニオーニの『欲望』のカメラマン役かな。
史劇大作『アルフレッド大王』(ヴァイキングとの戦いが中心のかなり面白い史劇です)で主役を演じたのはちょっと意外でした。

現在の映画の表現形式をあえて言うならマニエリスムでしょうか。
アメリカ映画全体がそうなっているというよりは、大雑把に言うと、一番先端的なのがマニエリスム的な映画作家群(デビッド・リンチなど)、自分の作品を通じてジャンル映画の再検討を行う映画作家群(イーストウッド、コーエン兄弟など)、ジャンル映画から抜け出せない映画作家群(スコセッシ、デ・パルマなど)、あえてジャンル映画に固執する映画作家群(タランティーノなど)に分類できるのではないでしょうか?

ボースン
2010年9月6日22:33

たけだ様

分析をありがとうございました。
マニエリスムですか…って、実は辞書引きに走りました(笑)。美術芸術用語は実は弱いです。
抜け出せないのと固執するのとってどう違うのかしらと思いつつ、各映画作家の作品を見ていないとどうもならないですね(^^;)
デ・パルマだけはいっとき割と積極的に見ていましたが80年代までです。

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たけだ
2010年9月7日11:20

ボースン様

抜け出せないと固執の違い。
スコセッシは、最初はジャンル映画の刷新ないしは廃棄を目指していたと思うのですがアイリーン・ダン主演の『無邪気な年頃』のリメイクである『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』あたりからジャンル映画に戻ってしまった印象があります。
固執するのは、「ジャンル映画でどこが悪い」とばかりジャンル映画の定型を守りつつ独自の作風を模索している連中です。

念のためここで言うジャンル映画の定義をしますと「映画の配給から興行までを一手に引き受けていた」時期の「映画会社が自社製品をよりよく売る為に貼ったラベル」のようなもので、「パニック映画」とか「スプラッター」などは含まれません。

ボースン
2010年9月7日13:50

最近のもの、あるいはスタジオシステムから出たものでないものは含まれないということなんですね。私などは、無理にジャンルを破らないでもいいやー、とかいう気分でしょうか。…タランティーノは全く見ていませんが(笑)

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