1959年、メルヴィル・シェイヴルソン監督作品。カラー。
ビデオの画像が出ないのでサントラCDの画像を。
1920年代、若き日のグレン・ミラーやトミー・ドーシー、アーティ・ショーなどそうそうたるメンバーを引き連れる売れっ子バンドリーダーだったコルネット(トランペットをちょっと小さくしたような楽器)奏者レッド・ニコルズをダニー・ケイが演じた伝記映画。
ユタの田舎から出てきたレッド(ケイ)は、自分が作曲・編曲した楽譜を山ほど持ち歩く、自信と野望にあふれた青年。歌手のボビー(バーバラ・ベル・ゲデス)と結婚し、結成した自分のディキシーランドジャズバンドは人気沸騰、娘ドロシーをも得て、順風満帆…と思われたが、小児麻痺にかかり歩けなくなった娘の看病に専念すべく音楽を捨てる(家庭を顧みることが足りなかったとの自責の念のせいもある)。が、やがて彼は、十年余のブランクを乗り越え、妻と娘の励ましで奇跡のカムバックを遂げるのだった。
序盤、巷で大評判のルイ・アームストロング(本人)の店に演奏を聴きに行き、酒の勢いでつい舞台に上がりこんで強引にセッションしてしまう場面がいい。上がった途端に気分が悪くなりトイレに駆け込むのだが、ボビーに実力を見せたくて再挑戦、コルネットで「リパブリック賛歌」を吹きつつ客席の端から舞台目指して進んでゆく。ここはちょっとゾクゾクしましたねー(*^^*)
ただ、ここを越える場面が、私にとってはいまひとつ無かった。あまつさえ、奥さんの留守中に娘を夜中に連れ出して「教育上悪い」と怒られたからって、いきなり娘を寄宿学校に放り込む話になる?さっき"魂の兄弟"とか盛り上がってた娘をですよ?まだ「何が何でも巡業につれてく」とダダをこねるなら分かるのですが…。奥さんも一度は娘とブルックリンに引っ込むとか言ってたくせに結局夫について回って、娘に淋しい思いをさせる。そーゆー中途半端をするなー。と、どうもこの夫婦の人間性になじめないものを感じたのでした。音楽と家族愛の感動の名作、というのが一般的な評価なのですが、ひねくれすぎでしょうか私。幼い娘が「パパに裏切られた」という思いに捕らわれるのも無理もない。それを悔んで自らコルネットを海に投げるニコルズですが、娘の為にと、挨拶もなくいきなり楽団も解散してびゅっと新居にこもってしまう。…楽団員たち困らなかったんか、とコレも気になったりする。
父親の過去の栄光を覚えていない娘が大きくなって無邪気にグサッとくる言葉を…とか、奇跡のカムバックへ繋げる終盤はうまくジリジリさせますが、いったん主人公から離れた気持ちが最後まで完全には戻りきらなくて(音楽を捨てたニコルズは悟りきってるわけでもなさそうでイラつき気味だし)、中くらいな映画、としか結局私の中には残りませんでした。残念。
ここ数日のコメント欄のやりとりもあって、ついちょっとドナルド・オコナーと比べながら観そうになったりするのもよくないのだろうけど、まともに見比べるとそんなに似てるわけでもない…多分。個性はかなり違う。歌声はやっぱオコナーの方が好みだな、などと余分なことを思いがちだけど、ケイのモノマネ(サッチモの歌の)は上手いですね。ただ、英語ネイティブな人でないとケイの芸の真の実力は判定しきれないのかも(訛って見せたり変な声出したり)。ケイのせいというより、シナリオの人物設定にけつまずきました。
今度は「虹を掴む男」でも見てみようっと。
ビデオの画像が出ないのでサントラCDの画像を。
1920年代、若き日のグレン・ミラーやトミー・ドーシー、アーティ・ショーなどそうそうたるメンバーを引き連れる売れっ子バンドリーダーだったコルネット(トランペットをちょっと小さくしたような楽器)奏者レッド・ニコルズをダニー・ケイが演じた伝記映画。
ユタの田舎から出てきたレッド(ケイ)は、自分が作曲・編曲した楽譜を山ほど持ち歩く、自信と野望にあふれた青年。歌手のボビー(バーバラ・ベル・ゲデス)と結婚し、結成した自分のディキシーランドジャズバンドは人気沸騰、娘ドロシーをも得て、順風満帆…と思われたが、小児麻痺にかかり歩けなくなった娘の看病に専念すべく音楽を捨てる(家庭を顧みることが足りなかったとの自責の念のせいもある)。が、やがて彼は、十年余のブランクを乗り越え、妻と娘の励ましで奇跡のカムバックを遂げるのだった。
序盤、巷で大評判のルイ・アームストロング(本人)の店に演奏を聴きに行き、酒の勢いでつい舞台に上がりこんで強引にセッションしてしまう場面がいい。上がった途端に気分が悪くなりトイレに駆け込むのだが、ボビーに実力を見せたくて再挑戦、コルネットで「リパブリック賛歌」を吹きつつ客席の端から舞台目指して進んでゆく。ここはちょっとゾクゾクしましたねー(*^^*)
ただ、ここを越える場面が、私にとってはいまひとつ無かった。あまつさえ、奥さんの留守中に娘を夜中に連れ出して「教育上悪い」と怒られたからって、いきなり娘を寄宿学校に放り込む話になる?さっき"魂の兄弟"とか盛り上がってた娘をですよ?まだ「何が何でも巡業につれてく」とダダをこねるなら分かるのですが…。奥さんも一度は娘とブルックリンに引っ込むとか言ってたくせに結局夫について回って、娘に淋しい思いをさせる。そーゆー中途半端をするなー。と、どうもこの夫婦の人間性になじめないものを感じたのでした。音楽と家族愛の感動の名作、というのが一般的な評価なのですが、ひねくれすぎでしょうか私。幼い娘が「パパに裏切られた」という思いに捕らわれるのも無理もない。それを悔んで自らコルネットを海に投げるニコルズですが、娘の為にと、挨拶もなくいきなり楽団も解散してびゅっと新居にこもってしまう。…楽団員たち困らなかったんか、とコレも気になったりする。
父親の過去の栄光を覚えていない娘が大きくなって無邪気にグサッとくる言葉を…とか、奇跡のカムバックへ繋げる終盤はうまくジリジリさせますが、いったん主人公から離れた気持ちが最後まで完全には戻りきらなくて(音楽を捨てたニコルズは悟りきってるわけでもなさそうでイラつき気味だし)、中くらいな映画、としか結局私の中には残りませんでした。残念。
ここ数日のコメント欄のやりとりもあって、ついちょっとドナルド・オコナーと比べながら観そうになったりするのもよくないのだろうけど、まともに見比べるとそんなに似てるわけでもない…多分。個性はかなり違う。歌声はやっぱオコナーの方が好みだな、などと余分なことを思いがちだけど、ケイのモノマネ(サッチモの歌の)は上手いですね。ただ、英語ネイティブな人でないとケイの芸の真の実力は判定しきれないのかも(訛って見せたり変な声出したり)。ケイのせいというより、シナリオの人物設定にけつまずきました。
今度は「虹を掴む男」でも見てみようっと。
コメント
サッチモって、演技というよりも、ほとんど素なのではないでしょうか。あの、圧倒的な存在感。彼の登場が無かったら、この映画の魅力は半減していますね。
私は、実は、この映画のストーリーよりもサッチモと、音楽シーンが印象深いんです。(彼のファンでしたから)中学時代に一度だけTVで見たきりでしたが、全編の曲がけっこうどれも好きで、上の画像のLPレコードを中学生の頃に買いました。そのときの印象をずーっと持ち続けていたので、最近DVDを見るチャンスがあって、何十年ぶりかに鮮明な画像でこれを見れたのはやはりうれしかったです。
ただ、ボースン様が指摘される家族のいざこざーンって言うのは、正直印象に残っていないんですよ。
サッチモの登場、楽団のメンバーの即興のアカペラ、ダニー・ケイがラジオ局で、カナダドライのCMをいろんなアレンジでやる場面(どれも、台無しにしてるんですが)、ああいった場面が、中学生の頃に見て、印象に深く残った作品だったんですね。
やはり、映画って、初めて見たときの思い出も脚色されますから、みんないいろいろな感じ方があっていいのでしょうね。
「虹を掴む男」、これこそ、何十年も見てないけど、すごく見てみたいです。
「ポケタポケタ・・・・。」なんと、近所の図書館にあるんですね。予約しました。
(これも、中学生の頃、原作本を買いました。)
その点なにわすずめ様のほうが、この映画の良いところを100%あまさず受け止めておられるんですねきっと(笑)
リパブリック賛歌は特に、うまいこと使われてたなと思いました。この曲でサッチモにも認められ、この曲の祈りの歌詞とともにコルネットを捨てる決意をする。
ただこの映画のメロドラマ部分が、ちょっと、私には合わなかったですが(なにわすずめ様も、その部分だけ気に入らなくて記憶から消えたのかな?)。
>なんと、近所の図書館にあるんですね。予約しました。
幸せは家の…近所にあったりするんですよ♪記憶の通り、楽しめるといいですね。
この作品は30年ほど前にテレビで見ましたがケイの作品では面白い方だと思いました。
監督のメルヴィル・シェイヴルソンの名前を覚えたのは『巨大なる戦場』なのですがもともとはラジオでボブ・ホープのギャグマンだった人で、ケイとも数回組んでいますね。
ミュージカル映画を作る体力が無くなっていた製作会社がミュージシャンの伝記物を次々と公開した時代の作品で、結構評判がいいですね。
ジェローム・カーンの伝記映画TILL THE CROUDS ROLL BY あたりが先駆けでしょうか?
『グレン・ミラー物語』1954年
『ベニー・グッドマン物語』『愛情物語』1956年
等が代表作品だと思いますが日本未公開作品もあるでしょうね。
『わが恋は終りぬ』1960年もこの流れの1本かもしれません。
メルヴィル・シェイヴルソンってケイと組むだけでなく、ボブ・ホープのギャグマンだったんですか!!!
…それにしては…実はシェイヴルソンというと、なんたって「パリが恋するとき」という笑いどころに困るラブコメで私の印象に残っちゃってる人です(笑)
なまじ本職のコメディアンと付き合いが長かったので、普通の俳優でコメディを作るのに失敗したのか?まあ、ポール・ニューマンとジョアン・ウッドワードという組み合わせでソフィスティケイテッド・コメディを作ろうとするのに無理がある気もしますが(いくら名優二人といえど、向き不向きが…)。
台詞で笑わせるのはそこそこの腕があるのでしょうが、映画はアクションですからアクションの演出が鈍いとやっぱり画面がシャキッとしないですね。
『パリが恋するとき』以外にも不発コメディは一杯ありますね。パリで思い出しましたが『パリで一緒に』もそうでした。