昨日から次々と、デジタルジュークボックスTCU-311Dで、昔のサントラLPからPC、そしてiPodに曲を入れまくってる(といってもまだ三時間分くらい。要領が分かるまでに少しかかったし)。
一枚から一部だけ入れたり、全部まとめて入れたり。
気に入ってるアルバムは、あえて片面まとめて入れて、iPodもどうせShuffleだから同じ映画のはメドレー状で聴くほうがいいしね。音質はまあ許せるレベル。しょせんiPodで聞くんだから…
中でもまとめ入れしたのは昨日ホメちぎったジェローム・モロスの「大いなる西部」。そしてアルフレッド・ニューマンの「西部開拓史」。うーん結構西部劇スキなんだよな。
前者の魅力は、どこまでも明るく透明感すら覚えるほどの、雄渾と爽快。この点では右に出るものはないとすら思う(最近キリン生茶のCMに使われていたからメロディは知ってる人も結構いるだろう)。ただ、それだけにある意味、あまりにも純化され理想化された「西部劇の魅力」といえなくもない。
それと逆ベクトルの魅力を持つのが、「西部開拓史」だろうか。
四代にわたる名もなき開拓者一家の歴史をオムニバスで描くこの作品(1963)。当時流行のシネラマで、大豪華キャストの超大作。原題からして“How the West was Won”…今では恥ずかしいような、白人中心視点の旧型大作だ。
開巻そうそう「序曲」の迫力が凄い。
短調だが勇壮極まりない旋律の、しかも合唱でガンガン攻める。
…なのだが、作曲のニューマンもタダではアカデミー音楽賞沢山取ってない。
憂愁の第二テーマというか、しみじみと静かな「丘を越えて」あたりの、甘さを廃した美しさと言ったら!
きびしくも寂しい、しかし切々と人の心に訴えかける詩情が、そこにはある。
西部の大自然は、ニンゲンたちのためのものではない。厳しく寂しい、それがむしろ当然でありリアルである筈。
そして、俗謡や民謡を取り入れ(当然ここらも合唱)、酒場の歌姫として力強く生きるデビー・レイノルズの元気な歌声もたっぷり。このへんは、西部に実際に生きてそして死んでいった「ひとびと」の存在感を、あえて俗な形でしかし強烈に感じさせてくれる。
所謂インディアン――ネイティヴ・アメリカンの人々の楽園を、強引に塗り替え取り上げていった、白人世界の罪は、今では誰も否定することはできないだろう。
ただ、それは必ずしも植民地主義だの、帝国主義だの、そういった政府レベルの罪ではなさそうだ。
狩猟民族であるインディアンは、農耕&牧畜民族の白人にはピンとこないくらい、広い空間を必要としているということを(そして白人が来るまではちゃんと土地は足りていたのだ)、普通の白人たちは悪気がなくとも理解していなかったし、大抵彼らはヨーロッパで食い詰めて、空の財布となけなしの夢と希望を抱いて、新大陸へ文字通り溢れ出してきていたのだ。
狩猟民族のセカイが、農耕&牧畜民族に突然出会ってしまった悲劇――
マヤやアステカほど瞬時に起って終了はしなかったにしろ、出会うだけでちゃんと悲劇(狩猟民族にとっての)は始まっていたのだ。不幸にも武器のレベルは白人のほうが上だった(科学技術上昇スピードが速かったのは定住のメリットかも)。
西部開拓は、だからこの映画のタイトルのようにキレイごとではないし、「勝ち取られた」西部が八方めでたいわけがないのだが、そこに大量の「普通のひとびと」の生のうねりがあったのはやはり確かだ。
そんなこんなで(音楽の話に戻るが――映画の出来ではなく)、私に言わせれば、「大いなる西部」を超える説得力を秘めた作品が「西部開拓史」なのであった。
「大いなる西部」の魅力がそれで減殺されるわけではないけれども…
(…と、思うのだが、「大いなる西部」と違い、「西部開拓史」のベタさは当然客を選ぶでしょう。西部劇嫌いは受け付けないでしょうね(笑))
映画本体については、iPodで聞いてるうちに、ちょうど安いの出てるからと「西部開拓史」のDVD買っちゃったのでそのうちそっちもレビュー書きます。昔TVでカットだらけのは一度見てる筈。
しかし昔すぎて(高一の頃)、リチャード・ウィドマークをスキになるちょっと前だったので、彼の出てる場面が全く記憶にない。それもつい買っちゃった一因(笑)
今回は特に良い役じゃなく、あまりカッコいい所はなさそうと分かっちゃいるんですけどね。ひたすら厳格な鉄道建設現場のボスらしいから。いいさ、今千円切ってるし。
えーと…、
それ以外では、バーナード・ハーマンとかブレージング・サドルとかヤン・フラとかスター・トレック劇場版とか入れてます。ミュージカルも入れたいな。
一枚から一部だけ入れたり、全部まとめて入れたり。
気に入ってるアルバムは、あえて片面まとめて入れて、iPodもどうせShuffleだから同じ映画のはメドレー状で聴くほうがいいしね。音質はまあ許せるレベル。しょせんiPodで聞くんだから…
中でもまとめ入れしたのは昨日ホメちぎったジェローム・モロスの「大いなる西部」。そしてアルフレッド・ニューマンの「西部開拓史」。うーん結構西部劇スキなんだよな。
前者の魅力は、どこまでも明るく透明感すら覚えるほどの、雄渾と爽快。この点では右に出るものはないとすら思う(最近キリン生茶のCMに使われていたからメロディは知ってる人も結構いるだろう)。ただ、それだけにある意味、あまりにも純化され理想化された「西部劇の魅力」といえなくもない。
それと逆ベクトルの魅力を持つのが、「西部開拓史」だろうか。
四代にわたる名もなき開拓者一家の歴史をオムニバスで描くこの作品(1963)。当時流行のシネラマで、大豪華キャストの超大作。原題からして“How the West was Won”…今では恥ずかしいような、白人中心視点の旧型大作だ。
開巻そうそう「序曲」の迫力が凄い。
短調だが勇壮極まりない旋律の、しかも合唱でガンガン攻める。
…なのだが、作曲のニューマンもタダではアカデミー音楽賞沢山取ってない。
憂愁の第二テーマというか、しみじみと静かな「丘を越えて」あたりの、甘さを廃した美しさと言ったら!
きびしくも寂しい、しかし切々と人の心に訴えかける詩情が、そこにはある。
西部の大自然は、ニンゲンたちのためのものではない。厳しく寂しい、それがむしろ当然でありリアルである筈。
そして、俗謡や民謡を取り入れ(当然ここらも合唱)、酒場の歌姫として力強く生きるデビー・レイノルズの元気な歌声もたっぷり。このへんは、西部に実際に生きてそして死んでいった「ひとびと」の存在感を、あえて俗な形でしかし強烈に感じさせてくれる。
所謂インディアン――ネイティヴ・アメリカンの人々の楽園を、強引に塗り替え取り上げていった、白人世界の罪は、今では誰も否定することはできないだろう。
ただ、それは必ずしも植民地主義だの、帝国主義だの、そういった政府レベルの罪ではなさそうだ。
狩猟民族であるインディアンは、農耕&牧畜民族の白人にはピンとこないくらい、広い空間を必要としているということを(そして白人が来るまではちゃんと土地は足りていたのだ)、普通の白人たちは悪気がなくとも理解していなかったし、大抵彼らはヨーロッパで食い詰めて、空の財布となけなしの夢と希望を抱いて、新大陸へ文字通り溢れ出してきていたのだ。
狩猟民族のセカイが、農耕&牧畜民族に突然出会ってしまった悲劇――
マヤやアステカほど瞬時に起って終了はしなかったにしろ、出会うだけでちゃんと悲劇(狩猟民族にとっての)は始まっていたのだ。不幸にも武器のレベルは白人のほうが上だった(科学技術上昇スピードが速かったのは定住のメリットかも)。
西部開拓は、だからこの映画のタイトルのようにキレイごとではないし、「勝ち取られた」西部が八方めでたいわけがないのだが、そこに大量の「普通のひとびと」の生のうねりがあったのはやはり確かだ。
そんなこんなで(音楽の話に戻るが――映画の出来ではなく)、私に言わせれば、「大いなる西部」を超える説得力を秘めた作品が「西部開拓史」なのであった。
「大いなる西部」の魅力がそれで減殺されるわけではないけれども…
(…と、思うのだが、「大いなる西部」と違い、「西部開拓史」のベタさは当然客を選ぶでしょう。西部劇嫌いは受け付けないでしょうね(笑))
映画本体については、iPodで聞いてるうちに、ちょうど安いの出てるからと「西部開拓史」のDVD買っちゃったのでそのうちそっちもレビュー書きます。昔TVでカットだらけのは一度見てる筈。
しかし昔すぎて(高一の頃)、リチャード・ウィドマークをスキになるちょっと前だったので、彼の出てる場面が全く記憶にない。それもつい買っちゃった一因(笑)
今回は特に良い役じゃなく、あまりカッコいい所はなさそうと分かっちゃいるんですけどね。ひたすら厳格な鉄道建設現場のボスらしいから。いいさ、今千円切ってるし。
えーと…、
それ以外では、バーナード・ハーマンとかブレージング・サドルとかヤン・フラとかスター・トレック劇場版とか入れてます。ミュージカルも入れたいな。
コメント
そうだ。「黒豹のバラード」はご存じですか?
もはや昔のように無邪気でお気楽なスタンスで映画は作れないということでしょうか。
残念ながら「ジェロニモ」も「黒豹のバラード」も知りませんでした(^^;)両方90年代の映画なんですね?(ぐぐってみました)
実は私が現役映画ファンとしての機能を果たしていた(映画雑誌を読んだり新作映画を劇場へ見に行っていた)のは1980年代くらいまでなので、そりゃもーめっきり、90年代以降の映画の話はできないんですよ。今の俳優さんとかは、めっちゃ無知です。ごめんなさいね〜m(__)m
「300」は、以前「炎の門」というテルモピレー戦を描いた小説読んだら面白かったので(本サイトに感想文アリ)ちょっと興味はあるのですが、なにしろ現代の俳優さんに興味がわかないので結局見ないかも…
なんにしろ、歴史劇のコスチュームは、楽しいもんです。お金もかかるだろうけど私的には廃れないでほしいジャンルです。
やんちゃな時代から、ばあ様でのデビー・レイノルズ好きです。YOU TUBEから彼女の名曲・タミーを取り出したくらい。
「あ、うえー、あ、うえー、・・・・・」、最近、西部劇、とんとない。淋しい限り。
いやホント、いい曲ですよね(*^^*)
前半はデビー・レイノルズ、結構何曲も歌っていて、ミュージカルのような楽しさもありましたっけ。
ミュージカル、50年代あたりまでの、大型化される前のもののほうが私はむしろ好きなのです(そういやMGMでしたねこれ)。
最近のハリウッドの女優さん、庶民レベルの道路ですれ違ったそのへんのお姉ちゃん的ですが、やはり思うに、女優さんはその名の通り輝く物が必要でにぎにぎしく・・と。T・ヘドレン、キム・ノバック、G・ケリー、ロロブリジータ(伊ですが)、・・・etc。つまり大物。もう出て来ないのでしょうか。小粒ばかりでやになる。ちょっとクラスが落ちますがS・スティーブンスなんてお気に入りでした。
キム・ノヴァクは、私も大好きです〜
「めまい」の彼女は特に綺麗で…といいたいけどあまりに可哀想でもあり、映画の格は落ちるかもしれませんが「媚薬」あたりの彼女がいいかな。あれだと、ジミー・スチュワートときっちりハッピーエンドできますし(*^^*)
昔のことだからそう思えるのかもしれませんが、やっぱり昔のスターのオーラは独特だったですよね。
終わる高速道路の場面でテーマ曲の和訳で「築かれたのは????と鉄拳と拳銃」とあるが・・・・・。???は忘れた。
強いて言えば「スーパーマン」が一番好みかな?
あと追い気味に重なってくるパーカッションなんてシビれます♪