須賀しのぶの新作の舞台は、なんとナチス台頭する30年代後半のドイツ。

SDの有能な情報部員としてのし上がってゆくアルベルト…
だが、冷酷なようでいてどこか普通、常識人ぽい、よくわからない部分が彼にはある。実際、普通のひとびとが支持したからこそナチスの独裁も実現したのだし…。ラノベ畑から来たとはいえ政争や人心の機微を描くのが上手かった著者。スタートは地味な展開だけど(教会勢力を陥れるための工作が続く)、期待しつつじっくり読み進む。二巻目ももう出てるみたいだし。
ナチスVSカトリックというのは新味かな。
1977年、ジェームズ・ゴールドストーン監督作品。

全米各地の遊園地に爆弾をしかけ、経営陣から大金を強請り取ろうとする青年と、捜査陣の対決。70年代によく作られたパニック映画と見せて?実は駆け引き重視の小味なサスペンス映画。確か大昔に一回見てるんだけど、細部は忘れていたので気持ちよくドキドキ見れました(笑)

主人公は"企画安全省"の冴えない役人ハリー(ジョージ・シーガル)。以前に自分が検査した遊園地での事故を探るうち、複数の遊園地を強請ろうとする犯人の存在に気づき、狙われた経営者らに「FBI通報した方がいい」と忠告しにゆく(犯人はそれを盗聴している)。FBIの捜査官ホイト(リチャード・ウィドマーク)は「ご苦労さん、帰っていい」とハリーを放り出すが、犯人は金の受け渡し役にハリーを名指ししてきて…

一見優男だがエキセントリックな犯人ティモシー・ボトムズがすばらしい。存在感を押し殺したスマートな物腰、端正な顔には薄笑い。そのへんの材料で爆弾を手作りする器用さと捜査陣を翻弄する狡知を兼ね備えた彼だが、最終的には己のプライドの高さに足をすくわれたというところか。名前すらない、背景が全く分からないのだが、遊園地内を徘徊する姿や、最初に「犯人は頭が良いから…」と口にしたハリーに妙にこだわりをみせるあたりから、その人物像はある程度観客に伝わってくる。描きすぎていないところがまた、遊園地にこだわるのは何かあるのかしら、とか、逆にこちらの想像力をそそる。

第一ラウンドでは犯人に完全にしてやられる捜査陣。ハリーを「コマ」としてしか扱わない、高圧的なホイトにも一因があると思うが、第二ラウンドではハリーの力を次第に認めるようになったホイトが見事な連携を決める。禁煙に悩んだり別居中の娘に会いに行ったりと忙しい小市民なシーガル、常に偉そうな、しかしハードワーカーぶりとシーガルに対する立ち位置の変化をきっちり見せてくれるウィドマーク、みな手堅く物語を引き締めてくれる。刑事役でハリー・ガーディノ、カメオ出演でヘンリー・フォンダなども登場するので、ちょっと「刑事マディガン」を思い出す。…まあ今回は、ご贔屓ウィドマーク様は完全に脇役ですけどね。時々レンズの厚そうな眼鏡をかけてるのが可愛い(笑)

『刑事コロンボ』のリチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクの脚本ということで、キャストがそれなりの割にTVムービーぽい感じもするが、同時に会話のくすぐりや小ネタなど「いい出来のTVムービー」感があり結構面白く観れる。まあ、捜査陣もちょっとツメが甘いとこがあるんだけどね(キタ!と思うと全員で同じ方行っちゃったりとか、「犯人はまだ気づいていない筈」と判断したら「でももし気付いていたら…」のシミュレーションを怠っちゃったり)。

大作を期待せずに見ると吉(笑)
ウチはADSLだが、「もっと安くなりますよ」とやたらと「うっとこに乗り換えませんか?」的な電話がかかってくる。光だったり別会社のADSLだったり色々。毎回「ホームページ持ってる関係でプロバイダは代えたくないから」という正直かつ正当な理由で撃退しているが、今回「ホームページも変わらないメルアドも変わらない回線部分を変えるだけそしたらプロバイダに払う料金が自動的に変わる」と力説するので、PCのない部屋で電話受けたこともあり、では資料送れと返事してしまった。資料を見た時点でも改めて断れるとのことだったので。
「のちほど別の担当者から確認の電話が行きますから」と電話は切れたのだが…

…やっぱりな。

別の担当者氏、「…ただ、ひとつだけ、プロバイダに『メールのみ利用のコースに変更』の手続きをしていただく必要があります」ですと。

ソフトバンクの大嘘つきー!!

叫んでやる。

あれだけさんざん、プロバイダに設定変更等の申し込みはしなくていいのかときいたのに。

そんな最安値コースへの変更なんかしたら、私の@nifty製のホームページは、絶対消されるか、良くても容量減りますがな(コースによってサービス内容は当然違う)。

…静かに、心がクレーマー化してゆく私でした。
面倒だからソフトバンクには断りの電話を入れるだけにするけど、ここで叫んどくぞ。


まあ最近の@niftyの態度にも、納得はいかないんだけど…
最近@niftyは、無料ブログとか有料ホームページとか有料クラウドのサービスは残して、私の使ってる無料ホームページサービスを突然新規募集停止にしてしまってる(現在生きてるページをヤメロとかご無体はもちろん言ってこないが)。

近頃では、みんな、やるのはブログ(かツイッター)ばっかりなんですかねぇ。普通にホームページ作るのって、企業とかばっかりになってきてるんでしょうかね。でも、私としては、ココはブログ風だけどあくまでも「日記」、本家サイトはあくまでホームページの方だと思ってるんだけどな。更新頻度が月イチくらいに落ちてきてはいるとしても…(爆)

まったく、油断もスキもないです。あー、電話に付き合った時間ソンした。大損だ。
1927年、バスター・キートン、クライド・ブラックマン監督作品。
モノクロ&サイレント。

画像は「久石譲 meets “THE GENERAL” キートンの大列車追跡<80周年記念リマスター・ヴァージョン>」ですが、そんないいモノではなく、図書館で借りた酷い画質のVHSで視聴(笑)

南北戦争の勃発したアメリカ南部。南部の機関士ジョニー・グレイ(バスター・キートン)の愛するものは二つ。機関車「将軍号」と恋人アナベル・リー(マリアン・マック)だが、「将軍号」がある日北軍のスパイに盗まれる。しかもアナベルが乗ったまま…

思ってたよりもテンポはゆったり。「探偵学入門」のスピーディさに比べると、アレっと思った。だが、橋梁爆破など結構スペクタクルだし、機関車大追跡ネタの全てがほぼ出そろっている感あり。いやー、今見ても立派なもんだなあってカンジである。手頃に短いし、やはりたまに見ると吉だなキートンって。

機関車大追跡、奪い返して大逃走、そして一度は志願をハネられた貧弱な小男のキートンが前線でも大活躍?と、最後まで気持ちよく見れました。最後にキートンに「軍服(借り着)を脱げ!」とどなる将軍も、えらい気の利いた御仁でニヤリ。

先日読んだバスター・キートン自伝があまりに面白かったので、未見のキートンをどんどん見ていこうという気になった。あえてトーキー後のものをまず見たいなと思ったのだが、とりあえず先に手に入ったのは「代表作のひとつ」とまで言われるコレで、でも面白かった(当然か?)からいいや。
夕陽に立つ保安官
1968年、バート・ケネディ監督作品。スカパーでの録画を視聴。
一時コミカル西部劇で人気があったケネディ作品。懐かしい~☆

ゴールドラッシュで急成長した西部の町。町の規模は大きくなってもケンカとリンチと娼館ばかりで秩序など無いまま、歴代の保安官も給料日までもった試しがない。そんなある日、トボけた流れ者ジェイソン(ジェームズ・ガーナー)が新たな保安官に任命される。さっそく彼は、町を脅かす最大のガンであるダンピー一家の三男ジョー(ブルース・ダーン)を殺人罪で逮捕するが、留置所は建設途中で、まだ鉄格子がはまっていないという有様。

それでも保安官は結構平気な顔。「ルールは守ろうな」と、笑顔と銃でおどされて、素直に中に座っている息子を見て、怒鳴りこんできた父ダンピー(ウォルター・ブレナン)がそのアホさ加減にガックリ…というのが笑わせる。
毒気を抜かれて一度は引きさがったダンピー一家だが、勿論それで済むわけはない。息子の奪回のためあの手この手を繰り出すが、この飄々とした保安官には案外スキがなく、にわか仕込みの保安官助手(ジャック・イーラム)や町長のお転婆娘(ジョーン・ハケット)と協力して、次々と敵を撃退してゆくのだった。…他の町民は、町長(ハリー・モーガン)含めて全く頼りにならないのだが…。
ちなみに原題は“SUPPORT YOUR LOCAL SHERIFF!”

「リオ・ブラボー」のような、西部劇にはいかにもよくある設定、よくある光景を、オフビートな笑いをまぶして楽しく見せてくれる。いい感じに肩の力の抜けたガーナーがやっぱりイイ。ほのかにB級ぽさがあり「60年代のジョージ・シーガル」と言ってもいいようなガーナーだが(私の勝手な持論だ)、こと西部劇に関してはTV・映画を含めてそれなりのアイコンとなってもいるぶん、西部コメディには最高のスターだと思う(映画でアープも演じればTVの西部劇シリーズも人気だった)。トボけた会話のひとつひとつが、“お約束”を踏まえて安定している。相棒役のジャック・イーラムもイイ味だしてるし。
ケネディの演出も、最初の泥んこ集団喧嘩シーンがちょっとダラダラしてる以外は、それぞれヘンな登場人物たち(ヒロインだって、いい加減ヘンな娘だ)を縦横にさばいて快調。
おちゃらけているけど、まだまだ安っぽくはなってないのがいい。

姉妹編「地平線から来た男」と、「悪党谷の二人」もじつは録りだめてある。そのうち再見するのが楽しみだ。
★4はつけすぎだろうが、★3では気の毒。気軽で気楽な快作だが、コメディの採点は難しい…
米原万里著。

1960年、小学生のマリは、プラハのソビエト学校に通っていた。激動の時代を超えて、大人になった彼女は、国際色豊かな昔の友人たちを探しにゆき…。
大宅壮一ノンフィクション賞をとっただけはあり、結構ひきこまれる。
海外で育った人の持つイキオイには、勝てないな(苦笑)

つぶやき。

2010年9月11日 映画
し…しんどい…

毎日帰りが遅め(家族いるのでムチャな時間てほどではないが)。

毎日早く寝る!といいながら実行できず。

昨日も歯を磨きながら「キートンのエキストラ」をつけたらダラダラとしばらく見てしまった(別に凄い傑作とかだからでもないのだが…)
週末のために体力残しとかないといけないのにー。
1930年、エドワード・セジウィック監督作品。

キートン自伝が大変楽しかったので、キートンを色々借りてきました。時代がトーキーになってからもそこそこトーキー映画を作っていたことは、自伝を読んで初めて知り(物知らず)、びっくりしたのであえてトーキー後のを。これはキートンの初トーキー。

自伝では「トーキー?別に自分にはどってことなかったし。トーキー後も自分の映画はヒットしてたし(大意)」というように書いていたので…。喜劇王の座から滑り落ちたのはトーキーそのものよりもMGMとの軋轢と家庭崩壊⇒離婚&財産も子供もまきあげられて深刻化したアルコール依存症、が直接の原因だったと本人は考えていた模様。

…はい、これは普通にトーキー映画、それも半ミュージカルでした。

カンサスの田舎町でミスコンに優勝したエルヴィラ(アニタ・ペイジ)は、彼女をスターにしたい母親(トリクシー・フリガンザ)に連れられハリウッド向かう。同行するマネージャーのエルマー(キートン)は優しく美しいエルヴィラに惹かれ、絶対スターにするぞ!と気負っているが、押しの強い母親に振り回され続け。道中、彼らと知り合った映画スターのラリー(ロバート・モンゴメリー)も早速エルヴィラを口説き始めるのでエルマーは気が気でない。撮影所内で騒動を繰り返すうち、何のはずみかエルマーは端役に配役され…?

最後にはエルマーとエルヴィラの母親の二人がコミック・オペラのスターとして抜擢されて、肝心のエルヴィラは映画スターではなく他の誰かさんのお嫁さんになっちゃうというオチ。

テンポはサイレントの時にくらべるとむしろイマイチに感じるのだが(話し声や効果音があふれていると、主役キートンへの集中感は減少して感じる)、中身は、…色々と、ビックリしました。
キートン、終盤、歌って踊りまくるし(レビューシーン自体はあまり出来がいいと思えないが、キートンの身のこなしはさすがに鮮やかだ)。
ラストはペーソスもいいとこだし(チャップリンじゃあるまいし…)。ただ、それはそれで、サイレントの喜劇王としてでなく、普通のトーキー役者としては、結構見ていて心にしみるものがある。相変わらず笑わぬ無表情(デッド・パン)なのだが、表情豊かな無表情なのはサイレントでもトーキーでも同じだ。晩年まで、時々映画にチョイ役で画面にアクセントをつけに現れていたのも無理はない。
…でも、いいのかな、このエンディングで…とも思わずにはおれないな。
★3はつけすぎかもだけど、へぇーッというのがアレコレで★2にはしないでおく。

自伝は自伝ならではの錯覚や誤魔化しやホラや韜晦があろう。てんでトム・ダーディスの「バスター・キートン」も借りてきて読み始めた。「キートンは内気で神経質で暗くて謎めいててコメディアンとは思えぬ性格」とか書いているので、後から出版された「自伝」の明るい調子と読み比べると“大丈夫か?”と思わぬではないが、別の視点を試すのは意義があるはず。例えばダーディスに言わせると、トーキー後、キートン映画の質は下がるが収益はむしろアップしていて、それが更にキートンの足を引っ張ったということだ。キートンはMGMのやり方に対して不満だが、MGMの方ではトーキー前以上に映画がヒットしているのはMGM側の判断が良いからだと譲らない…というわけだ。なるほどねえ。

借りてきたトーキーもボチボチ見続ける予定だが、それ以上に、サイレント期の傑作群を、私はまだまだ一杯見残している。幸せなんだと思おう。いや、幸せだよね。
キートンの歌劇王
キートンの歌劇王
1932年、エドワード・セジウィック監督作品。モノクロ。
引き続き、キートンinトーキー、図書館レンタルのVHS視聴。
今日は超忙しいから(午前と午後にそれぞれ別イベント)、そのつもりではなかったのだけど…朝、トースト食べる間だけ、とデッキに放り込んだら我慢できずに最後まで見てしまいました。出かける前に少し寝なおして体力蓄えるつもりだったのに。
ありゃりゃりゃ、普通に楽しかったよ!!

ポスト教授(バスター・キートン)は、学問一筋だったからか?孤独で世間知らずで貯金もわずか。が、ある日75万ドルの遺産が転がり込むと聞き、舞い上がって旅に出る。駅で知り合ったジミー・デュランテら貧乏劇団の面々と親しくなり(特に花形のルース・セルウィンの踊りにウットリして)、なりゆきで教授は出資者に。劇団のレベルも考えず(笑)、いきなりブロードウェイに打って出るが、実はこの遺産話はデタラメで…舞台袖を借金取りが徘徊する、背水の陣のレビュウ初演の結果は果たして?

ガセ遺産話は、「たまには休暇とって旅に出るとかしないと、一人で引きこもってちゃダメですよ」と常々教授に勧めていたお節介な秘書の嘘だった。いくらなんでもソレはないでしょー、と思うが、その一点を除けば問題なくスムーズに楽しく見れた。昨日の「エキストラ」と二年ほどしか違わないのに、トーキーになりたての頃の映画にしばしば感じるギクシャク感がグンと減ってたのもある(偶々こっちのVHSの方が画質が良かったからかもしれないが)。

キートンは小柄だが顔には結構威厳があるし(紐付きの鼻眼鏡がお似合いだ)、サイレント喜劇出身でも、セリフ回しも堂々としている。小難しい表現を連発して周囲を戸惑わせる、でも世間知らずで無垢な教授役は案外良い感じ。というか、いつもより堂々としていますなキャラクターが(笑)さすがに教授だから…
クライマックスは、初演の舞台に教授がウッカリ転げ出て舞台をめちゃくちゃにし、しかしそれが観客の爆笑を誘いまくって大受けする、というお約束な展開だが、舞台装置を色々使って、ダイナミックな笑いがたっぷり盛り込まれていた。いやー、思い出しても結構吹きます。

ジミー・デュランテは、別に嫌いではないが、…こういうベラベラ喋るタイプのコメディアンはもっと英語力がないと真価が分からないのかも。終盤、舞台上でのドタバタ大会になるとやっぱりキートンの体技が目立つし。しかし、デュランテが「雨に唄えば」を歌いだした時にはビックリした。あっ、そういえばこの歌のシーン「ザッツ・エンタティンメント」にあったゾ!
当時MGMはデュランテの方をガシガシ売り出そうとしていたらしいが、「ザッツ…」にはキートン、MGM大晩餐会にチラっと映っただけだった。70年代になってもその扱いだったのね…(泣)

とはいえここでは、憧れの彼女ともうまくいって(途中、遺産目当てのお色気女に狙われる一幕もあるが)、万全のハッピーエンド!
キートンは、やはりこう来なくっちゃね。

ネット上にフル動画もありました(字幕はないけど)。原題が"Speak Easily"

http://www.archive.org/details/speak_easily
米原万里著。

どこの国にも似たような諺が存在する。集めまくってみつつ時局問題に関して毒舌もはいてみましたというエッセイ。まだブッシュ政権がイラクにあれこれしていたさなかの出版なので、ちょっと時代のずれを感じてしまいますが、著者御自身も出版後間もなく亡くなっておられまして…
今お元気だったらどんな毒舌を吐かれるのでしょうね…

ツンケンしたことを言いながら、強引にこの国にも、この国にも、この国にも…と諺収集を続ける裏には、どこの国でも人間も人間だ、と、信じたい心のなせる力技かも。
1927年、ジェームズ・W・ホーム監督作品。サイレント。
が、実質キートンが監督しているともいう…
バスター・キートン週間なぜか継続中です。一本あたりが短いからかな。
Internet Archive (http://www.archive.org/) に上がってたので視聴。

貧しいが勉強家のキートンは、高校の卒業式で「スポーツばかりにうつつをぬかすより、勉強しよう!」と過激にスピーチしたために同級生たちや恋人に総スカンを食う。同級生はともかく恋人には未練な彼は、大学に入ると、バイトの合間にこれまで縁がなかった野球、陸上、ボートに次々チャレンジ。うまく出来ないまでも、努力する姿にほだされた恋人は彼を見直すが、恋のライバルのスポーツマン君は彼女をモノにすべく卑怯な手を…(この卑怯な手というのが、一世紀近く昔とはいえ、ホントにこんなんでいいのか?というくらい観念的で、困った。ヘイズコードはまだだよね(笑))

キートンはスピーチ中に直立したままグンと斜めになったり、ティーカップ&ソーサーを持ったまま転んで一回転したり(しかもカップは落とさない)、とか、どうやってんの?というワザをさりげなくちょこちょこはさんでくれるけど、全体としてはややダラダラ気味(ロイドの真似っぽいストーリーだし)。
ただ、最後、彼女を救いに猛ダッシュ、それも陸上でさらったすべての技を組み込んで、というのは素晴らしく盛り上がった。ロマンチックに終わると見せて微妙にブラックなのもいい。でもホントにいいのは最後の数分。サイレント喜劇って、皆割と立ちあがりがユルく(シチュエーションは字幕で説明する必要があるし)、エンジンがあったまるまで少し時間がかかる気がします。

キートンのサイレント作品の中ではそんなに評価の高いものではないだろう。しかし、トーキー作品に比べるとImdbの評価はずいぶん高い。これはこれでひとつの偏見かも?
全体としては、「大学生」より「歌劇王」の方が楽しめると思う私であった。もちろん「大学生」にも、見て絶対に損はない場面ってのがちゃんとあるけど。キートンだもんね。

タダで見たい人は⇒http://www.archive.org/details/college

忙しい…

2010年9月17日 日常
おかしい…別にそんなにナマケてないと思うのに、何でこんなにお仕事がつまっているんだろ。

ひとつには、築33年の職場があっちもこっちもコワレ始めているってことも効いてると思う。自分ちだけでなく、併設の他の施設も合同の建物だから、どこが見積もりとってどうお金を出し合ってって話だけでもなかなか決まらないんだぞ。
しかもここんとこ、週に一か所ずつ壊れたトコが見つかってる気がするぞ。

屋上が傷んでるもんだから見積もりにきてもらって、雨漏りが出たところと見比べてもらったら、雨漏りは屋上じゃなくて壁面の劣化から来てると思う、と言われた。
…修繕必要箇所が増えるってことだよねソレ…(-"-;)

…ふぅ…
1964年、リチャード・クワイン監督作品。スカパー録画で視聴。

締切に追われる脚本家ウィリアム・ホールデンが、パリで雇ったタイピスト・オードリー・ヘップバーンの魅力に触発され、一気に書き進めるシナリオがそのまま映画内映画となって二人の恋にだぶる…という、ロマンチック・コメディ。

なにはともあれパリでオードリー、というだけで一定のオシャレ感はある。ホールデンもちょい草臥れかけとはいえ頑張って軽快さを出してる。
シナリオ的にはそんなに凝ったことはやっていないのだが(トボけた味は出しているが伏線や小道具の処理などには大した工夫はないと思う)、主題歌はシナトラかな、と脚本家が呟けばシナトラの歌が流れ、カメオ出演にディートリッヒ、と呟くとディートリッヒ本人が一瞬の出演、という、贅沢っぽいつくりも楽しめる(特に前半は)。アステアのレコードも流れるし(「プロデューサーズ」の"That Face"という同名の歌とヤケに似ている。こっちの方が先なんだけど)、トニー・カーティスなんか、何故ノンクレジットで…と思うくらい作中「端役」呼ばわりされつつ頑張っていて驚きだ(笑)

ただ、脚本を書きあげた時点で、ホールデンが急にヘナヘナ…となってしまい、主役二人の恋愛はストレートには成就しないのだが、このラストのひとひねりがちょっと唐突でどうも。気を取り直してハッピーエンドには持ち込むのだが、それならそれで、ここでもう一発、グンとぶっ飛んだ盛り上げ方をしてくれればよかったのになあ。ちょい失速感があり残念でした。
書きあげたシナリオの結末までも変えてくれたらよかったのに。
「新作でリベンジ」なんてのではなく(^^;)

それにしても、やたらヌーヴェル・ヴァーグを揶揄するセリフがあったのに今回気付いて驚いた。そんなに気にしてたんですかハリウッドのみなさん?
キートンの決闘狂
キートンの決闘狂
キートンの決闘狂
1932年、エドワード・セジウィック監督作品。

「キートンの決死隊」を借りてきた筈が見当たらない(なんだか素敵なダンスをすると聞いたので…)。わーんどこへ行ったんだ、間違って職場においてきたかな…と、仕方なく出勤前に半端に余った時間に「キートンの決闘狂」VHSを半分見る。残り半分は帰宅後視聴。

水周りの修理工事に入ったお屋敷で、ずぶ濡れになって服を脱いだばかりに、お屋敷の令嬢(アイリーン・パーセル)の恋人(ギルバート・ローランド)に誤解されて決闘を申し込まれる発明好きの職人キートン。なりゆきでお屋敷の運転手ジミー・デュランテが相棒(決闘の介添やら、発明品の売込み時やらの)になってくれるが、デュランテには「歌劇王」以上に存在意義を感じない。歌わないし。
立て続けにギャグを喋って自分もゲラゲラ…という喧しい芸風は、まだまだスクリーンから音や声が出るだけで観衆が熱狂した30年代前半には、今感じる以上に喜ばれたものなのかもしれないが…。

同じトーキーでも「歌劇王」に比べるとまとまりがない。が、だんだん決闘ズレ?してきて、手袋を誰彼構わずぶつけまくるキートンは可愛いな。ダラダラした展開も、そのうち何かやらないかやらないか、と期待でズルズル見続けてしまう。
…私も立派なキートン愛好家になってしまったようだ(しかもトーキーでもゼンゼン許せてしまうという懐の広さ!)。

しかし後半になると、決闘も発明品もどこかへ行ってしまって、「彼は妻帯者だそうだから別れなきゃ、でも未練はある…」と心乱れる困った令嬢と恋人(実は二股掛けのろくでなし)の間を割くべくキートンが奮闘する話になってしまって、ますますイマイチであった(^^;)
誰かこの散漫シナリオ何とかしてやって…。キートンは可愛いんだけどさ(そればっか)。

ちなみに「決死隊」は、やっぱり職場に置き忘れてました。
キートンの決死隊
キートンの決死隊
キートンの決死隊
1930年、エドワード・セジウィック監督作品。
図書館のVHSで見たので(元々古いが)画質も劣悪。

第一次世界大戦中。金持ちのボンボン・エルマー(キートン)は間違って徴兵事務所に入り込み、一兵卒として欧州に送られることになる。社長のパパに手を回してもらって…と思ったものの、「贅沢な生活を投げ出して、一から頑張ろうだなんて立派だわ」と、以前は冷たかった憧れのメリーさん(サリー・エイラース)が言ってくれたので、とりあえず兵隊生活を継続することにする。婦人部隊のメリーさんとの心のすれ違いや 厳しくも可笑しい訓練(ありがちだけど)で引っ張りつつ、ほぼ運だけで戦争を乗り切る主人公。敵ドイツ軍のど真ん中に取り残されちゃった~!と思った途端に終戦との知らせが。
昨日の敵と喜び合いつつ別れの手を振るキートンの、"また、どこかの戦場で会おうな!"との結構ブラックな挨拶は、…なんか後で効いて来るパンチだった(笑)。

まだトーキー二作目なので、割とキートンの思うような映画作りができてたという説もあるが、ものすごく面白いというほどでもない。「エキストラ」同様、トーキーなりたての頃によくあるギクシャク感もある(音や音楽の使い方が滑らかでないため、場面転換がどことなくスムーズでない)。ただ、印象的なシーンはいくつかある。私がミュージカル好きなせいか、音楽がらみの場面がいい。後半すっかりレビュー映画だった「キートンのエキストラ」より良い!

この映画には、キートンの半ば"相棒"という感じで"ウクレレ・アイク"ことクリフ・エドワーズも出ている。って、昔「雨に唄えば」を最初にヒットさせた人としかイメージないんですが、ここでもウクレレ持って慰問のステージに立ったり兵舎でちょこっと唄ったり。
そんな中、兵舎でくつろぐ兵隊たちのワンシーン、なぜかウクレレの弦はキートンが押さえて、エドワーズはドラムスティックでそれを叩きながら唄って(同時にキートンが低音部をハミング)、もう一人の兵隊が銃剣を即席楽器みたいに使って伴奏つけて、みんなで横山ホットブラザーズ?…という場面が。ここだけ妙に素な感じのキートンでびっくり。脈絡もなくポン、と放り込まれてた場面だけど不思議に印象的。あと、キスされて舞い上がったキートンが窓辺に登ってウクレレ抱えて"You are meant for me"を唄いだす、という場面も。一瞬で他の連中に「煩い」と叩き出されたけど、もう少し聞きたかったよう(笑)キートンと音楽は意外と相性いいと思う。
ちなみに"You are meant for me"も、「雨に唄えば」でジーン・ケリーが唄ってましたね(^^;)

最後の慰問ステージのダンス(女役も全部男の兵隊たち)もなかなか。誰かの代役ってんで、振りも怪しいままに踊らされる、女役で黒いワンピのキートン(足元はゲートルとズボンが見えてる)。凄くヘンで、ダイナミックで(ぶんぶん回ってる)、でもタマに色っぽかったりして(笑)

http://www.youtube.com/watch?v=J3Dmr_xAr2Q

後半3分が特に見ものです。
apache dance(アパッシュダンス)っていうらしいですね、こういう荒っぽいの。
ウクレレ持ってるのがエドワーズ、合わせて踊るのがエイラーズ(舞台上で唯一の女性?)。


なぜかそのあと「キートンの白人酋長」(1922)も、ネットの無料動画にフルであったので視聴。
約20分の短編なのでお気楽(オチもスッキリ決まった)。こんなことしてると、寝不足直らない…

http://www.imdb.com/video/internet-archive/vi2728067609/
蔵書まるごと消失事件 (移動図書館貸出記録1)
イアン・サンソム著、創元推理文庫。

司書ったって、そうそう就職口があるわけじゃない。図書館ってそんなにやたら沢山建ててもらえないもの。金喰い虫なのは確かだし。
ロンドンっ子のイスラエル(アイルランド系☓ユダヤ系のイギリス人、ユダヤ教徒で菜食主義者)も、司書として正規採用されるまでにはかなり回り道をした。やっとこ、アイルランドの田舎町の司書枠を勝ち取り、はるばる現地へやってきたのだが、たどりついた図書館には「閉鎖されました」と大書されていた。ガビーン!
(サービスの見直しだの、より効率的な自治体経営だのと…ったく、どこでもコレか…)
移動図書館ならあるからソレに乗って、しかも一万五千冊の蔵書はなぜか行方不明だから自分で探して、と市役所の担当職員には突き放され…

図書館ネタのユーモアミステリ(しかも主人公は一応司書。頼りないが)、というので手を出してみました。
しかしイマイチだらだらしてたなー。150ページくらい読むまで、何度も挫折しかけた。
ラストも、いろいろイジメられたりドジ踏んだりあれこれしんどい目にあったあとで、そんなまったりオチでいいのか…と思った。どこがミステリなんだよぉ。二作目も出たみたいだけど多分読まないかなあ~


…それにしても、レビュー機能がなんか久々にまた「調整中」なのだそうだ。早くなおらないかなあ。不便。改良されるのなら楽しみだけど…
キャグニーの新聞記者
1943年、ウィリアム・K・ハワード監督作品。モノクロ。図書館で借りたVHSで鑑賞。

昔話のように食っちゃ寝、食っちゃ寝していた、久々に休めた祝日。その合間にチョロっと観ました。
ジェームズ・キャグニーは、そりゃギャングを演っても凄いけど、やっぱり個人的には、普通にイイ人やってるのが好きだなあ、イイ人でも十二分に素敵ですよ。舞台は20世紀初頭あたり。ノスタルジックなゆったりムードもまたキャグニーには似合う。「いちごブロンド」あたりを気に入る人には特にオススメ。

流れ者のトム(キャグニー)は、浮浪者として逮捕されかけた所を、親切なマクロード夫人(グレイス・ジョージ)に「記者として雇うから」と救われる。彼女は平素から仕事のない浮浪者に朝食をふるまうなど博愛心に満ちた未亡人だが、彼女の新聞社は、町の腐敗を記事にしたため悪徳ボスから睨まれ、経営も悪化していた。トムは夫人のために、新聞をリニューアルしVS悪徳政治家キャンペーンを開始する…。

夫人には美人の姪がいるが、ややこしいことに悪徳政治家の息子と恋仲(この息子は父の悪事を知らない)。そして、キャグニーは、記者の経験もあるが(かつて政治の腐敗を記事にして、保身に走る編集長から首にされたという)、何よりも自由を愛し、全てが丸くおさまると、再び旅に出てしまう。そんな、頼もしいが孤高のヒーローを、キャグニーはソフトに、気持ち良さそうに演じている。製作も兄のビル・キャグニーだし。アクション・シーンも少しはあるが(当然主人公は結構強い)、あくまで優しさと愛嬌とが持ち味の主人公なのだ。
ありがちな「みんな一緒に幸せに暮らしました」の大団円ではないが、時代をちょっと昔にとったのも効いて、おっとりとさわやかな後味のヒューマン・ドラマに仕上がっていた。

原題の"Johnny Come Lately"とは「新参者」くらいの意味。たまたま町にやってきて闘いに手を染めることになったキャグニーを指すのだろう。
ポスターにオスカー像があるのは、音楽賞ノミネートのせいか?特に印象深いメロディラインはなかったが雰囲気は良かったと思う。未亡人役グレイス・ジョージは舞台の名優らしい。また、未亡人宅の家政婦はハティ・マクダニエルが演じていた。
「僕、タップダンスが好きだったんです」さて誰でしょう。
「新・屈せざる者たち」は辺見庸著の対談集(少し古い、十数年前の本)。
たまたま検索してるとこの本の目次に「僕、タップダンスが好きだったんです」との章があるのを発見し…しかも、タップが好きなんて言ってるの、アノ 広岡達朗氏ですよ!あまりの意外さに、つい取り寄せてそこだけ読んでみました。
結果的には、アステア映画とか好んで見てたなんてことは、ほんのひとことふたことしか書いてなかったんで残念だったけど、昔ヤクルトや西武の監督してた頃、広岡氏カッコイイ!とちょいとミーハーファンだった私は、野球談義も好ましく読みました。だってあの銀縁眼鏡が!知的ぽいじゃないですか。長身でスタイルもまずまずでしたしね当時は。
往年の名遊撃手が、もしも野球じゃなくてダンス方面に進んでいたら、それはそれで運動神経が生かされてたかもしれないしなどと、妙な妄想がふくらみます。

先月の日記に書いたように、つい我慢できなくなって?私も「体験レッスン」に行ってみたタップ。実はその後も続いていて、この週末には注文したmyタップシューズが到着の予定。どこで練習するんだ、というような様々なハードルはありますが、大人になってから習い事などするのは初めてなので、かなり舞い上がってます(笑)

ディスク管理

2010年9月25日 日常
自他共に認める「片づけられない女」のひとりである。

DVD-Rを(久々に)整理していて、「フレイジャー」をダビングしたディスクが見当たらないのに気がついた。もしかしてRWで録ったのをRにもダビングしたつもりでRWの中身を消してしまったとかではあるまいな。うーんうーんうーん。ウチのプリンタはCD/DVDのレーベル面印刷もできないので、ウチのディスクはたいてい白一色(Rにはマジックでタイトル書いてることもあるが)。そりゃ分かりにくいよね。しかし…

HDDにももう残っていないよーだ。うーんうーんうーん。
たいしたモノではないのだが…また、凄くレアなわけでもなんでもなく、またレンタルして再びというのも可能なのだが…あったものがなくなると哀しい。

ないことに、出勤前に少し机の周りを片付けた。こういうときの常で、探してるのとは違う何かが発見される。(しばらく行方不明だったイヤリングの片方が見つかった!)

大事さどうでもよさ加減が非常に中途半端なレベルのブツなので、かえってもやもや?
何か他のもの(イヤリングとか)を探した時に見つかるといいなあ…ううう。

ディスク内容はコレ⇒ http://13374.diarynote.jp/201008022359378626/
ベル・オブ・ニューヨーク
ベル・オブ・ニューヨーク
ベル・オブ・ニューヨーク
1952年、チャールズ・ウォルターズ監督作品。
日本未公開だがジュネスからDVDは出てるしTV放映されたことはあるそうな。私は米盤DVDボックス収録分(英語字幕のみ)で視聴しました。(参照http://13374.diarynote.jp/200902271555324824/)

20世紀初頭?のニューヨーク。婚約破棄は数知れず、プレイボーイのチャールズ(フレッド・アステア)は、救世軍みたいな福祉団体で働く、美人だがマジメでお堅いアンジェラ(ヴェラ-エレン)に一目ぼれ。いい加減だった己の生活を立て直すことを本気で誓い、色々な職にもついてみせ(それまで彼の生活は叔母の財産に頼っており、ろくに働いた事がないからすぐドジをしてはクビに…)、ようやく彼女を口説き落として結婚にこぎつける。が、祝いに駆けつけた人々に乾杯を何度も強要されて、久々に飲んだ酒につぶれて結婚式に遅刻してしまい…

たわいのない話だが、曲はそこそこキャッチーで良いものが揃っていると思うし、アステアは快調に歌いまくり踊りまくってくれる。
いつもお洒落なアステアの、珍しいウェイター姿だの道路清掃人姿だの郵便配達人姿だの乗合馬車の運転手姿だのが拝めるのも大層新鮮であった(笑)。一番有名な、砂まきタップダンス"I wanna be a dancin’man"は"歌って踊れるウェイター"として就職した時のもの。「ザッツ・エンタティンメントPart3」でも見られるボツテイクは、同じ曲をウェイターの制服で踊っているのだ(やはり地味だ、と服装を変えて録り直したらしい)。
アステア映画の中ではあまり評価は高くないということだが、十分楽しめた。
カラーで映像的にも華やかだし。

まあ何で評価が高くないかというと、脚本かなあ…。たわいがないのは良いのだが、恋して天に上る心地になったアステアは、ふわふわと空に浮いてしまうのだ。ビルの屋上へ着いてひと踊り。よくあるイメージ重視のダンスの演出かと思うとそうじゃなかったらしく、ドラマ部分でもう一度浮かんじゃう。ヴェラ-エレンも相愛になると浮かんじゃう。ラストも二人で浮かんじゃう。
…いくら20世紀初頭でも、いいのかコレ…と、ファンタジー好きの私でも、ちょっとためらうところはありますね。せめて何か伏線があればいいのだが、突然、「人間が恋心の高まるあまり浮かんでも普通」という世界観を押しつけられると動揺します(笑)
「空を飛べるあなたがスキ」とかって、物語にまともに組み込まれても、ねえ(^^;)

それと、ヴェラ-エレンにあともう"ひと華"あるとよかったのかもしれない。ダンスは上手いがこの人あまり色っぽくないし、特に前半は首元ピッチリの救世軍風地味ドレスだし。

この二要素が、二枚目ではないけどゴージャスな、そしてやっぱりあくまでオトナなアステアの間にびみょーな違和感を生んじゃったのかも。アステアファンには許せる範囲内なんですけどね…。アステアファンなので大まけして★4。

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