1950年、ビリー・ワイルダー監督作品。モノクロ。
アサイチで朝十に行ってきました。遅番だったので。
大昔に一回は名画座で見ていたと思うんですけどね、手ごろに細部は忘れていてウットリ。

半年くらい前にスカパーでもやってて録画したんだけど、10分少々見たあたりで、「うーむ…これは…映画館でやるんなら映画館で見ないともったいない」、と、感じてしまった。
そして半年封印した。なかなかそんな風に思うことってないんだけどね。
しかも、この映画、私が興味を抱くスターとか全然出てないんだけどね(←本来はミーハー)。

ハリウッドの夢と残酷を描いた名画としてもはや定番なこの映画。
売れない脚本家ジョー(ウィリアム・ホールデン)は借金取りに追われて古びた大邸宅へ迷い込んだ。そこには、今では老いた、サイレント映画の大女優ノーマ(グロリア・スワンソン)と執事マックス(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)が住んでいた。カムバックを夢見て主演映画の企画を考えるノーマは脚本の手直しの為ジョーを雇うが、やがて彼を愛人扱いし、束縛し始める…

ぞわぞわするほど退廃の香りにむせかえるような邸宅。いつまでも大女優のつもりなノーマは50代に入り明らかに老いはじめているが、ある意味「女」のカタマリみたいな存在でもある。醜悪だけど、妙に可愛らしいところも、なくもない(私だけか?そう思うの)。彼女への一抹の哀れみと、未来の見えない自暴自棄から、ジョーはジゴロへと身を堕とす。ハリウッドの夢に毒され、打ちのめされた同士という淡い共感もあったのだろう。そう、根は悪い奴ではないのだジョーは…。だが、若いモンより、年寄りの溜め込んだ毒のほうが、よりおぞましく強烈だった。
ジョーを失い、ノーマはあっというまに狂ってしまう。ハリウッドの“玉座”からとうの昔に滑り落ちているノーマに、何とかしてハリウッド式「幸せ」を浴びせ続けようと画策するマックスのほうが一層激しい歪みを抱いているといえようか。
正気のままで狂っている、というような最後の表情には哀しみがあふれている。

彼らにくらべれば、そりゃ若い連中なんぞ可愛らしいものである。世をすね、ノーマに飼われてみても、共同執筆を申し出てきた脚本家志望の娘(ナンシー・オルソン)との淡い恋には心が揺れる。けれども彼女は友人の婚約者でもある。若々しい、汚れのない夢はすぐ手が届きそうでいて、ジゴロに堕した男には容易く手に取ることはできない…。… 泣ける。
あの健康優良児みたいなホールデンを、ひとひねり強引に退廃させて使いこなすワイルダーのお手並みは凄いなあ…
好みのタイプじゃないけれど(マッチョは嫌)、この映画のホールデンはなんか切なくてイイ。

もちろんスワンソン、シュトロハイムらロートル組の迫力もすごいですが…
ただまあスワンソン、キレイだよね若い頃は。オバサンになっても結構整ってはいる。

誰もが不幸で誰もが一生懸命。映画界の特殊な世界観、価値観の中で歪められながらも、その必死さには心を揺さぶられます。
カムバックなんか実現不能だし、若い映画人には鼻もひっかけられなくても、「大女優ノーマ」を知っていた一定年齢以上の人々がノーマに抱く敬意や懐旧の情は、これまた決して嘘ではない。過去と未来の価値が、不思議なバランスで揺れ動く街ハリウッド。

ハリウッドの夢は思いっきり苦くて歪んで醜悪で、けれどもその甘い蜜も否定できない、そんな、えもいわれないアンビバレントな感覚に満ちているのが、この映画の素晴しいところ。歪みも甘さもちょうどいいころあいだ(私にとっては…)。

期待通り、ぼおっと酔わされて映画館を出ました。


…出たあと、いつものとおりオシゴトだったのが残念ですが(^^;)

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