聖女ジャンヌ・ダーク
聖女ジャンヌ・ダーク
聖女ジャンヌ・ダーク
1957年、オットー・プレミンジャー監督作品。モノクロ。
日本未公開のジーン・セバーグのデビュー作。タイトル通り中世フランスの英雄兼聖女ジャンヌ・ダルクの映画。
ただし、スペクタクルなど期待してはいけません。英雄譚・見世物的な要素は一切排した演出です。バーナード・ショーの原作戯曲をグレアム・グリーンが脚色したもので、テーマはほぼ「中世と宗教」。
そして、それだけに、日本人にはピンと来にくい作品でしょう。

オープニング、老いたフランス王シャルル7世(リチャード・ウィドマーク)の枕元に、ジャンヌ(セバーグ)の亡霊が立つ。
最初、彼女の顔だけが暗く影になっている。いかにも不気味だが、あたふたと落ち着かない身ごなしのシャルルはジャンヌに対しては怯える気配もない。二人の会話から過去に飛び、田舎娘ジャンヌの登城からオルレアン解放⇒戴冠式⇒ジャンヌ火刑法廷、と史実通りに続いて亡霊生霊大集合の奇妙なエピローグへなだれこむ。

ただ、ショーの原作戯曲のほうが「ジャンヌがなぜ誰からも、仏側教会関係者からも見放されるのか」は分かりやすかった。
教会関係者は「勝手に神の声を聞いたと主張する=教会をないがしろにする」ジャンヌが許せないのだ。教会をさしおいて神と関わるなどもってのほかなのだ。(教会をさしおいて勝手に聖書読んで神に近づこうとする新教プロテスタントを、旧教が許せず宗教戦争が起こったのと同じである)。ジャンヌはジャンヌで、なぜ神の声が(自分には)聞こえているのに、教会関係者になんだかだ言われないといけないのかが理解できない。原作戯曲には英国側ウォリック伯の政治的理由、教会側の理由、各方面の論理が縦横に描かれる。原作戯曲の裁判シーンはジャンヌ抜きでそこそこ量があるので、堅苦しいパートといえばいえるが読むとヨーロッパ中世がよく判った気持ちになれたのだが…(というか、うまく噛み砕いてる、ショー先生)。
「彼女は何も理解していないのだ…」とつぶやく司教コーション(アントン・ウォルブルック)の言葉は、いきなり映画だけ見てちゃんと通じるのか、よくわからない。ちなみに、宗教的理由をさておいても、王権も国民の意識もまだ確立しきっていない時代に「フランスのために!」と叫ぶ彼女を貴族諸侯が鬱陶しく思うのもこれまた時代の必然だ。

神の声に導かれ、時代から浮いてしまった淋しい聖女。それがショーの描き出すジャンヌ像なのである。

セバーグはちょっと線が細い気もするが、可愛いからいいのか?何も考えず分からずに神の声に従うジャンヌは、あれくらい若くてちょうどいいとは思う。だんだん周囲にもてあまされる所なんか、結構容赦ないですね。最も親しい立場の戦友ジャック・デュノワ(リチャード・トッド)ですら、決して時代の常識を踏み越えることはない。
コンピエーニュで捕虜になるあたりは、神の声がまた聞こえたのか、よく聞こえてないのに彼女が突っ込んでいったのか、戦闘シーンはなくいきなり牢屋になっているが、見ていて判断しにくいのがじりじりする。グリーンの脚色は、いきなり幽霊場面を繰り上げて見せるインパクトはいいと思うが、ショーの宗教的、社会的解釈の切れ味はちょっと鈍らされている気がする。グリーンはイギリス人だがカトリック作家。なぜ彼に脚色が振られたのかもナゾだな…
イギリス人神父のストガンパー(ハリー・アンドリュース)のいきなりな回心とかは、いかにもグリーン好きそうだけど、これは原作戯曲の通り。

とか言いつつ、原作と比べながら見たせいか、そこそこ面白く一気に見てしまった。
中世モノを作るには手堅く名優をそろえた上で、セバーグという新進プラス、シャルル7世にリチャード・ウィドマークというウルトラC級意外なキャスティングで勝負した作品だが、作品全体の当時の評価はイマイチだった模様…だけれど、演技合戦自体は見ごたえがあったと思う。

特に目が吸いよせられたのはウォリック伯のジョン・ギールグッド。爺さんになってタキシードの偉いさんとか執事とかやってる所しか見たことなかったのだが、壮年のギールグッドは堂々と、端然と、ある意味ひどくさわやかだ。理性でもってジャンヌの火刑を決めるが、そこにはひとカケラの私情も宗教的感情も含まれていない(教会側の感情も理解はしているが)。含まれてなきゃいいってもんでもないだろうが、中世の理性を象徴するような人物。

そして、肝心の(?)ウィドマーク様。結局、彼が出てるから見た作品…色々な不安を抱きつつですが…(中世とあって激しく変な髪形してるし)。
うーん。この人の映画はかなり何本も見てきたけれども、…すごい。別人のようです。
メイクもあるが、今回相当ぶっ飛んだ演技してます。「死の接吻」以来の飛距離かも。
醜く虚弱で金もなく、周囲の蔑視を道化のような奇矯な振る舞いで受け流す、名ばかりの若い王太子(「宮廷で最も粗末な服を着てるのが王太子」なのだ)。ジャンヌに出会ったのはたしか20代で、後年ジャンヌの幽霊と会う場面は50代の設定…後者の老けメイクは50代じゃすまないくらいの出来である(笑)
どっちのメイクでも、ちゃんと?モノすごく虚弱そうに見えるのがまた可笑しい…

身のこなしも表情も、なんだか必要以上に千変万化してつかみきれないシャルル像を見せてくれる。ジャンヌの励ましと戦勝により戴冠式をあげ正式な国王となるが、「聖女」に対して何のこだわりも執着もない。ジャンヌの戦果を見ても、戦いよりも和平の意義を主張してばかり。必ずしも馬鹿ではないようだが(なんだかんだ言って、彼の治世のもと、フランスはついにイギリスを追い払って百年戦争を終結させているのだ)、実はジャンヌにもあまり関心がないらしい。そもそも「かくあるべき」と説教されるのは大嫌い。なんだか遊んでばかりいる。中世の現実をふまえた混沌がこの国王なのか。それとも現実しか見ない彼、実は現代人モドキなのか。
この人物は原作よりもバカっぽい描き方になっているような。けれどウォリックとはまた違った意味で自分自身が揺らぐことなく、ジャンヌという「奇跡」から、掴み取れるものはちゃっかりと掴み取っている“勝利王”…。

少々舞台臭さが漂う演技だが、じっと見ているとコミカルでかーなーり、面白い。
ファンがそれを喜ぶのかどうかというと、まったく別の問題だが…。幸か不幸か、彼の場合、普段のタフガイ演技や悪役演技のイメージが、あまりにも強く世間に根付いていますし。

ま、私はこのキモカワ演技も珍品として賞味いたしました。なるほど舞台出身、こんなんも出来るんだー!けんけん遊びをしている中盤がいい。
逆に、彼のイメージを知らない若い人が見たらどんなのかしら、と、それが知りたくなりました。

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