まあもう一回行っておけば悔いはなかろうと、西宮まで「雨に唄えば」を追いかけて見に行く。
まあ何といいましょうか、バカでしょうか?(7/17、23と大阪で行ってます)
見ごたえあるミュージカル・ナンバーと笑いがぎゅう詰めって感じの作品なので、それでも飽きません。基本的にはドナルド・オコナーを見に行ってるって感じですが(^^;)

それにしても、オコナー演じるコズモ・ブラウン、「主人公の親友役」というのにこれほど特化していてある意味全く中身がないのに、これほど魅力的というのは結構不思議です。クラシック・ミュージカルには「人間を描く」とかは元々二の次な所がありますが(素晴らしい芸が見れればいい、というのが基本なので…)、親友である主人公ドン(ジーン・ケリー)だけがスターになっちゃって、自分は下っ端のままでもいつもニコニコとドンの求めに応じてそばにいて、ちょっとしたおふざけを連発しては日常を楽しくしてくれたり、何かあると励ましてくれたり、一緒に考えてくれたりアドバイスをくれたり。それも、常に嫌味のないクドすぎない態度で。

いくら親友でもすばらしすぎ。理想的すぎる!
そんなオトモダチ、いるわけがない、主人公のalter egoだろう!(お笑いとか音楽とかでなく心理学の)、とか、主人公にしか見えない存在なんじゃないか、とか言われても否定しきれなかったりするくらいに素晴らしいオトモダチです(^^;)

でもまぁ、フィクション中の人物は、リアリズムに反しても人倫?に反しても、魅力的なら勝ちですしね。寅さんだって無責任男だってファンタジーとして愛されてるし。

あくまでもご都合主義的で明るい筋書きのミュージカル。ケリーとオコナーのダンス(と演技)にも底抜けの明るさが満ち溢れている。
が、ケリーの、地に足のついた「強い」明るさと比べると、オコナーの明るさには妙な透明感がある。ふわりと拡散してゆくそれは慈愛とも、この世のものならぬ儚さとも感じられる。
…人というよりも守護天使のよーな「コズモ」をスクリーンに創りあげてしまったオコナーに乾杯。

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