井上 堅二著。去年でた本がやっとまわってきた(笑)

ひさびさオフ日(外にでなくたっていい)、朝からギャグ小説を読む。ちょっと読んで寝なおそうかと思ったらつい最後まで一気に…

同じようなことやってるな…と思いつつ、テンポがいいのでつい読まされます。疲れてると効く。
姫路さんの捨て身のお色気攻勢に、少しは気付け主人公。ただ、ありえないようなドンカンというのが、この手の話のお約束でもありますしね(^^;)
久々に秀吉の「演劇部」設定が生かされたネタも。
今年はもう9.5まで出ている。続きもはやくよみたいな。
1951年、ウィリアム・ワイラー監督作品。モノクロ。
スカパー録画で視聴。

ニュヨーク市警の一分署、物語の大半はこの建物内で進行する。事件は次々に起こり、それを並行して次々と処理してゆく刑事たちと、犯罪者たち、そして時には犯罪者よりめんどくさい一般市民が分署に出入りしそれぞれのドラマをアピールする。
生活のニオイがぷんぷんする群像劇として始まる映画だが、やがてその焦点は、分署きっての鬼刑事マクラウド(カーク・ダグラス)個人へと移ってゆく。

誰よりも正義感が強く厳格な彼は、犯罪者などは別人種と断言する。違法堕胎医も、窃盗常習犯も、失恋から魔がさし横領をしてしまった青年も同じだ。この青年だけは、雇用主や仲間の刑事すら「告訴せず、やり直させたい…(幼馴染の娘が自腹を切ってまで盗んだ金を建て替えると申し出ているし)」と思うのだが、なら「俺が告訴してやる」とマクラウドは一蹴する。
異常なまでの厳しさは、「悪党」であった父、優しい母親を痛めつけ狂わせた自分の父親への憎悪から来ているのだが、ここで思いがけず事件のひとつが愛する妻の過去と関わってきて、マクラウドを打ちのめす。
父と同じ狭量さ残酷さが自分のうちにもあると気付いた彼の懊悩は…

ガチガチに厳格かつ激しい鬼刑事のカーク・ダグラスがハマリ役。息子よりもっとゴツゴツした顔と体だしねえ。
いかにも舞台劇的な、キッチリととのった脚本と演出。ワイラーにハズレなし、という感じだ。イマイチコレといった個性はない気がするけど優等生なワイラー。
結末は古典的といえるだろうが、せわしなく様々な案件が進行する『刑事ドラマ』なシーンは現代のそれとあまりかわらないとすら思える。
出演者たちは、ダグラスを囲む他の刑事たちににじむ人間味(特に、横領青年の世話をやく人情家刑事ウィリアム・ベンディックス!)も、出会う前の出来事を許せそうにない夫に絶望する楚々とした美しい妻エリノア・パーカーも、犯罪者たちもみんないいけど、特に目立つのは万引き女のリー・グラント。軽く取り調べられたあと裁判までの時間待ちで署内に残っているのだが、出来ごころの初万引きらしく激しくキョドりつつも、妙な野次馬精神を発揮し、周囲の出来事をシッカリジックリ観察して結構楽しんでいるさまが何とも可笑しい。みなさん、さよ~なら~、と妙に明るい顔で彼女が退場していったとたん、ドラマは百%悲劇モードに走り出すのだが。

ウェルメイド・プレイ、という感じで、面白く見れました、ハイ。

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