1967年、ジョルジュ・ロートネル監督作品。カラー。
「女王陛下のダイナマイト」のロートネル監督の、これも変わったギャング・コメディときいていて、スカパーで録画。
名の知れたギャング"ツキのピエロ"は、銀行から4億フランを強奪した後、駅で警官に補足され射殺された。一方、この死んだギャングの愛人カティ(ミレーユ・ダルク)は、まさに二人の赤ちゃんを出産したところだった。彼女は4億フランの隠し場所を知っているのか?と、警察も他のギャングたちも彼女にアレコレつきまとう。カティは彼らをふりきって、シングルマザーのための施設で産後の数週間を過ごしたあと、施設で仲良くなったママ友(!)マリテ(アヌーク・フェルジャック)と二人の赤ん坊を連れて、ピエロと暮らした田舎家へ向かう。勿論ギャングたちも追ってくる。
4億フランはどこに、そして最後には誰の手に?
「ダイナマイト」は最初から音楽のせいもあってかクスクス笑えるが、「牝猫」は意外にトーンが渋かった。少なくとも前半は…特に冒頭は。
ピエロの射殺までシーンなど、物悲しい音楽で渋ーい描写。いかにもフランスのフィルム・ノワールである。全体に音楽が物悲しいのが、ちょっと意外でしたね。
もちょっと明るくてもいいのに。
あ、でも、最後の総攻撃前夜に、近くでキャンプのギャングのボスが「戦いの前の音楽はいいもんだ」とか言って手下にハーモニカで物悲しい曲を吹かせるのはイイ。なんか「アラモ」の総攻撃前夜の"皆殺しの歌"みたい(笑)
ちなみに手下の中には仏語訳「毛沢東語録」を読んでるのもいる。時代色なのか?
ただ、ギャングに追跡されていても、包囲されていても、目覚まし時計が鳴ったらソク、ミルクの時間!と、新米ママ二人はなんだか浮世離れしていてほほえましい。レストランや田舎の家で子どものようにふざけあう姿も印象的。庭先で外でスッポンポンで水浴びなんかしちゃう(それをまた近所の変人画家が望遠鏡でのぞいてる)。牝猫といってもアバズレな感じじゃなく、アカンボと一緒にだんだん母親たちは、天然ピュアな心にかえってゆくような描写。
花の咲き乱れる野原にかこまれ、崩れかけた教会堂の横に立つ、この田舎家も大変素敵な景観で、見るとホノボノするあたりは「女王陛下」にも通じるセンス(「女王陛下」でダルクが住む農場も実に美しかった)。もちろんお花畑で銃撃戦だってやっちゃうのだが。
この美しく鄙びた背景とアカンボたちが、次第に物語に明るいトーンを加えてくれて、全体としてはほんのりユーモラスな変格ノワールという感じ。ギャングたちも含めて憎めない変人が多く(なんか登場人物全員子どもっぽい気がするが…)、後味も悪くない。
まあ、ひたすらミレーユ・ダルクの魅力でもってるとも言える。今回は飾らないジーンズスタイルが多いけど、勿論ミニスカートもお似合い。細くてお洒落で妙にカッコイイ。あんな風にカッコよく髪を振りたててみたいわー。昔はアラン・ドロンと共演してるの見ても、どこがいいのかぜんぜん分からなかったんだけどなー(笑)
そもそも私の知ってる俳優がちっとも出てない。
ヒロイン以外で目立つのは、狂犬のような、でもちょっと情けない殺し屋アミドゥと、組織を裏切って女たちにつくアンリ・ガルサンですかね。ガルサンを割とすぐに女たちが受けいれるのは、ギャングたちの中では比較的男前だからだろうきっと。女たち両方にコナかけたりと欲望に忠実だが、戦闘面のコーチもしてくれるし、そんなに悪い男でもない。なんかこの人すごくアメリカ人ぽく見えるんですがなぜかな。馬顔だから?メル・ファラーとかパトリック・マクグーハンとかあのへんに通じるツラガマエ。
ぐだぐだダラダラした感想しか出てませんが、そこそこに楽しめました。
「女王陛下のダイナマイト」のロートネル監督の、これも変わったギャング・コメディときいていて、スカパーで録画。
名の知れたギャング"ツキのピエロ"は、銀行から4億フランを強奪した後、駅で警官に補足され射殺された。一方、この死んだギャングの愛人カティ(ミレーユ・ダルク)は、まさに二人の赤ちゃんを出産したところだった。彼女は4億フランの隠し場所を知っているのか?と、警察も他のギャングたちも彼女にアレコレつきまとう。カティは彼らをふりきって、シングルマザーのための施設で産後の数週間を過ごしたあと、施設で仲良くなったママ友(!)マリテ(アヌーク・フェルジャック)と二人の赤ん坊を連れて、ピエロと暮らした田舎家へ向かう。勿論ギャングたちも追ってくる。
4億フランはどこに、そして最後には誰の手に?
「ダイナマイト」は最初から音楽のせいもあってかクスクス笑えるが、「牝猫」は意外にトーンが渋かった。少なくとも前半は…特に冒頭は。
ピエロの射殺までシーンなど、物悲しい音楽で渋ーい描写。いかにもフランスのフィルム・ノワールである。全体に音楽が物悲しいのが、ちょっと意外でしたね。
もちょっと明るくてもいいのに。
あ、でも、最後の総攻撃前夜に、近くでキャンプのギャングのボスが「戦いの前の音楽はいいもんだ」とか言って手下にハーモニカで物悲しい曲を吹かせるのはイイ。なんか「アラモ」の総攻撃前夜の"皆殺しの歌"みたい(笑)
ちなみに手下の中には仏語訳「毛沢東語録」を読んでるのもいる。時代色なのか?
ただ、ギャングに追跡されていても、包囲されていても、目覚まし時計が鳴ったらソク、ミルクの時間!と、新米ママ二人はなんだか浮世離れしていてほほえましい。レストランや田舎の家で子どものようにふざけあう姿も印象的。庭先で外でスッポンポンで水浴びなんかしちゃう(それをまた近所の変人画家が望遠鏡でのぞいてる)。牝猫といってもアバズレな感じじゃなく、アカンボと一緒にだんだん母親たちは、天然ピュアな心にかえってゆくような描写。
花の咲き乱れる野原にかこまれ、崩れかけた教会堂の横に立つ、この田舎家も大変素敵な景観で、見るとホノボノするあたりは「女王陛下」にも通じるセンス(「女王陛下」でダルクが住む農場も実に美しかった)。もちろんお花畑で銃撃戦だってやっちゃうのだが。
この美しく鄙びた背景とアカンボたちが、次第に物語に明るいトーンを加えてくれて、全体としてはほんのりユーモラスな変格ノワールという感じ。ギャングたちも含めて憎めない変人が多く(なんか登場人物全員子どもっぽい気がするが…)、後味も悪くない。
まあ、ひたすらミレーユ・ダルクの魅力でもってるとも言える。今回は飾らないジーンズスタイルが多いけど、勿論ミニスカートもお似合い。細くてお洒落で妙にカッコイイ。あんな風にカッコよく髪を振りたててみたいわー。昔はアラン・ドロンと共演してるの見ても、どこがいいのかぜんぜん分からなかったんだけどなー(笑)
そもそも私の知ってる俳優がちっとも出てない。
ヒロイン以外で目立つのは、狂犬のような、でもちょっと情けない殺し屋アミドゥと、組織を裏切って女たちにつくアンリ・ガルサンですかね。ガルサンを割とすぐに女たちが受けいれるのは、ギャングたちの中では比較的男前だからだろうきっと。女たち両方にコナかけたりと欲望に忠実だが、戦闘面のコーチもしてくれるし、そんなに悪い男でもない。なんかこの人すごくアメリカ人ぽく見えるんですがなぜかな。馬顔だから?メル・ファラーとかパトリック・マクグーハンとかあのへんに通じるツラガマエ。
ぐだぐだダラダラした感想しか出てませんが、そこそこに楽しめました。