1938年、ノーマン・タウログ監督作品。モノクロ。

先月下旬図書館で借り、前半だけ見たまま放置されていたので(面白くないからでは決してない)、ひさびさに家にいた今日、残りを視聴。
何で借りたかというと、二月に「ザッツ・エンタティンメント」や「ライオンが吼える時」などのMGM史的なモノを続けざまに見て、「トーキー以後の戦前戦中MGM、最大のキーマンはミッキー・ルーニーだったのではないか」と思ったからであった。
当時子役スターとして大人気だった彼は、ちっとも美少年ではない。ちんくしゃ丸顔獅子っ鼻、だが、歌って踊れて演技が達者。少女時代のジュディ・ガーランドとミュージカルも作れば、本作のようなストレート・プレイの感動作にも沢山出ている。背も低いのでかなり長く子役・少年役を演じ続けた(1920-)。

この映画は、孤児たちのために、学校であり職業訓練所であり寄宿舎であり自給自足の農場でもある施設“Boys’ Town”を作ったフラナガン神父(スペンサー・トレイシー)と少年たちの物語。実在の神父がモデルらしい。
刑務所で犯罪者たちと話をするうち(告解をきいたり彼らの魂のために祈るのだ)、その一人が「親を亡くした子どもの頃、自分の回りにこうして気にかけてくれる人がいたら…」とつぶやくのを聞いたフラナガン神父は、孤児たち(親に捨てられた子も含む)のための家を作ろうと思い立つ。借金と寄付でスタートした“少年の町”は、親友兼支援者の質屋モリス(ヘンリー・ハル)の心配をよそに、次第に規模を大きくしてゆく。
そんなある日、旧知の囚人の一人から「自分の弟の面倒を見てくれないか、悪ぶっているが根は良い子なんだ」と頼まれて、神父はホワイティ(ミッキー・ルーニー)を“少年の町”に連れていく。この兄は護送中に脱走してしまうのだが、弟への愛情は本物らしい。
スレた不良少年ホワイティは最初は逃げようとし、何度もトラブルを起こすが、無邪気に慕ってくるピーウィー坊や(施設最年少のマスコット的存在)には結構ほだされている。色々あって、今度こそ出てく!と飛び出した彼を追ってきたピーウィーは自動車事故にあい、ホワイティは今度こそ自分の愚かさに涙することに。
さて、悄然と街をさまよう彼が銀行の前を通りかかると、銀行を襲ったギャングたちが飛び出してくるのに遭遇。しかもその中には兄の姿も…。神父の元に戻ったホワイティには強盗の疑いがかけられ、「少年の町」は開設以来の危機に陥った。だが、愛する兄を思うと黙秘するしかないホワイティ。彼の苦しみと決断は…。

いや、良く出来ています。少年たちもそれぞれに個性がある。最後にホワイティを救うのも神父よりもむしろ少年たち。自治組織を作らせて社会的訓練の場にするところや、少年の町、神父が作ったにもかかわらず、食前の祈りはそれぞれ自分の信仰のスタイルでOK、祈らないなら祈らないのもOK(無神論者OK)というのが神父の見識の高さを感じさせる。トレイシーはこれでオスカーを取っているが、個人的には質屋のメガネ君(オイ)が良い感じでした。序盤、「オマエはお人よしすぎだから」と神父に言っては「君ほどじゃないよ」と返されるのが話が進むほどに実感できる、ほんとにいい人。

ミッキー・ルーニーも期待通りに盛りだくさん。生意気で伊達ぶりっこで、ぼろぼろに泣いて。銀行強盗のくだりはちょっとご都合主義ですが、ドラマとしての盛り上がりとしては十分で面白かった。
続編も出たらしい(「感激の町」)。

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